浅丘ルリ子の大原麗子への弔辞はガチ

珈琲館で女性セブンを読んでいたら、大原麗子への浅丘ルリ子の弔辞が載っていて、感動した。
ネットで全文を見つけた。

麗子、あなたとのおつき合いもテレビドラマの共演がきっかけで33年ぐらいになります。あなたは私の友達というだけでなく、私の家族全員の友達でした。「麗子を浅丘さんのうちの家族にして。一番下の妹にして」と言っていたように、私の両親や姉の最期にも立ち会ってくれました。特に父の最期には、ベッドに寄り添って「お父さん、お父さん」と、顔をなでてくれた優しい麗子を忘れません。人のためにも、自分のことにも、本当によく泣く人でした。結婚してからも、お正月を毎年私の実家で過ごし、よくしゃべり、遊び、食べ、楽しい日々でした。いつのまにか、お正月はもちろんのこと、お互いの誕生日、花火大会、おいやめいの結婚式まで、欠かせない人になっていました。そんなあなたともここ数年、何度も言い合いをし、けんかになって、距離を置いた時期がありました。夜中の2時、3時におかまいなくかかってくるあなたからの電話、長々と人様や自分の不平不満を訴えるだけの一方的な長電話、こんなことが何回も重なると、あなたの声さえ聞いているのも辛くて、「もう麗子からの電話には出たくない」と思ったものです。私だけではなく、あなたを大切に慈しんでくれた身内の方、友人たち、すばらしい仕事仲間たちの行為を一切受け付けず、拒否し続けるあなたの気持ちが私には分かりませんでした。そんな去年の暮れ、転んで骨折したことを知り、食事を用意して妹とうちを訪ねたとき、あなたは玄関で私の顔を見るなり飛びついてきて、「なんで浅丘さんすぐに来てくれなかったの。浅丘さんが来てくれるのずっと待ってたんだから」と、私と2人、尻餅をついたまま、怒って泣いているあなたの肩を抱きながら、私が思っている以上に深い苦しみを抱えて、傷ついていたのだと、麗子の心の内が見えた思いがしました。それから数カ月、突然の訃報を聞いてただ驚き、信じられず、まるで心の中に重い石を詰め込まれたような思いで、何も考えることができず、『どうして、どうして』と、つぶやくばかりでした。初七日に優しくほほえむあなたの遺影に向かったとき、私は「麗子のバカ」と思わず言ってしまいました。あんなにかわいく、優しかったあなたが、突然、頑固でわがままな人になってしまったのはなぜ。誰かれ構わず、怒りをぶつけていたのはどうして。なぜ、あなたは周りの人をこんなに混乱させたまま、逝ってしまったのでしょうか。何を聞いても答えてくれないあなたの遺影を見つめているうちに、写真のあなたの顔がくしゃくしゃとゆがんで、泣いているように見えました。その時、あなたの抱えていた病気が、一人でいる寂しさがどんどんあなたの心をかたくなにしていったのだと今更ながら分かったような気がします。あなたがどんなに私のことを拒否しても、姉として、あなたをちゃんと受け止めてあげるべきだったのです。優しく、後ろから背中をさすってあげればよかったんです。本当にごめんね麗子、ごめんなさい。今、こうしてあなたに話しかけている私は、もうなんのわだかまりもありません。私はあなたのあふれるほどの優しさ、かしこさ、かわいらしさだけを思いだしています。どうぞ、おだやかに心静かに休んでください。私の妹、麗子へ。

冷徹に死者を見つめる視線が文学的だ。
これはいい弔辞だと思う。
タモリの弔辞が話題になったりしたが、男が書く弔辞はヒロイズムとかナルシシズムに満ちていて、誰が主役なのかと思ってしまうこともある。
故人より弔辞を読む人がかっこよくちゃダメだろと思ったりもする。
故人を亡くしたことがつらくて、そうした格好良さにすがって必死で耐えているのかもしれないけれど。
浅丘のクレバーすぎる文章に比べると、男はショックに弱いがゆえに弔辞が感傷的な文章になってしまうのだと思う。
以下蛇足ながら解説を加える。

 麗子、あなたとのおつき合いもテレビドラマの共演がきっかけで33年ぐらいになります。あなたは私の友達というだけでなく、私の家族全員の友達でした。 「麗子を浅丘さんのうちの家族にして。一番下の妹にして」と言っていたように、私の両親や姉の最期にも立ち会ってくれました。特に父の最期には、ベッドに寄り添って「お父さん、お父さん」と、顔をなでてくれた優しい麗子を忘れません。

序盤ではパブリックイメージに添った大原麗子像を提供する。それと同時にどのくらい親密であったか描写。なぜか浅丘ルリ子の家族は出てくるのに大原麗子の家族は出てこない。孤独の影を伏線として貼る見事さ。

 人のためにも、自分のことにも、本当によく泣く人でした。結婚してからも、お正月を毎年私の実家で過ごし、よくしゃべり、遊び、食べ、楽しい日々でした。いつのまにか、お正月はもちろんのこと、お互いの誕生日、花火大会、おいやめいの結婚式まで、欠かせない人になっていました。

楽しい思い出を羅列する。楽しい日々を一気に振り返る時間経過の表現の仕方が上手い。

そんなあなたともここ数年、何度も言い合いをし、けんかになって、距離を置いた時期がありました。夜中の2時、3時におかまいなくかかってくるあなたからの電話、長々と人様や自分の不平不満を訴えるだけの一方的な長電話、こんなことが何回も重なると、あなたの声さえ聞いているのも辛くて、「もう麗子からの電話には出たくない」と思ったものです。私だけではなく、あなたを大切に慈しんでくれた身内の方、友人たち、すばらしい仕事仲間たちの行為を一切受け付けず、拒否し続けるあなたの気持ちが私には分かりませんでした。

一転して深い憎しみへ。弔辞らしからぬ辛辣さである。周りの友人たちの気持ちを代弁する文章でもある。起承転結の転の部分。序破急で言うと破の部分。

そんな去年の暮れ、転んで骨折したことを知り、食事を用意して妹とうちを訪ねたとき、あなたは玄関で私の顔を見るなり飛びついてきて、「なんで浅丘さんすぐに来てくれなかったの。浅丘さんが来てくれるのずっと待ってたんだから」と、私と2人、尻餅をついたまま、怒って泣いているあなたの肩を抱きながら、私が思っている以上に深い苦しみを抱えて、傷ついていたのだと、麗子の心の内が見えた思いがしました。

ここが文学だ。骨折しながら飛びついてくる無鉄砲なところと素直さ、本当にかわいい人。尻餅をつきながら怒って泣くという場面を読むと情景が浮かんでくる。

 それから数カ月、突然の訃報を聞いてただ驚き、信じられず、まるで心の中に重い石を詰め込まれたような思いで、何も考えることができず、『どうして、どうして』と、つぶやくばかりでした。初七日に優しくほほえむあなたの遺影に向かったとき、私は「麗子のバカ」と思わず言ってしまいました。あんなにかわいく、優しかったあなたが、突然、頑固でわがままな人になってしまったのはなぜ。誰かれ構わず、怒りをぶつけていたのはどうして。なぜ、あなたは周りの人をこんなに混乱させたまま、逝ってしまったのでしょうか。何を聞いても答えてくれないあなたの遺影を見つめているうちに、写真のあなたの顔がくしゃくしゃとゆがんで、泣いているように見えました。その時、あなたの抱えていた病気が、一人でいる寂しさがどんどんあなたの心をかたくなにしていったのだと今更ながら分かったような気がします。

まるで、心の中に重い石を詰め込まれたような思いという比喩が巧み。江國香織くらいは超えている文章センス。愛しているが故に死んだときに怒ってしまうという本当の愛情。愛していたのに結局、死ぬまで許せなかった後悔。頑固わがままと故人の悪口を言えば言うほど逆に愛情がしみ出てくるアンビバレンツなシチュエーション。そこが多層的な構造をしていてスリリングである。

あなたがどんなに私のことを拒否しても、姉として、あなたをちゃんと受け止めてあげるべきだったのです。優しく、後ろから背中をさすってあげればよかったんです。本当にごめんね麗子、ごめんなさい。今、こうしてあなたに話しかけている私は、もうなんのわだかまりもありません。私はあなたのあふれるほどの優しさ、かしこさ、かわいらしさだけを思いだしています。どうぞ、おだやかに心静かに休んでください。私の妹、麗子へ。

巧みで技巧的な表現から一転して感情の吐露へ。恩讐の彼方へ。一人が亡くなることによって、最後に姉と妹のたった二人のシンプルな関係に戻ったのだ。なんだかんだ言っても肉親ではないが、魂のつながりがあることに大原麗子が亡くなってやっと気づいたのだ。そして最後やっと穏やかな気持ちになったのだ。

恐ろしいまでの死者への冷静な目とともに構成の巧みさを見せつける弔辞であった。しかし、最後は暖かい文章で終わっていて、こういう弔辞が感動を呼ぶのだなと思った。