もったいないとか言うけど

もったいないという言葉が見直されてるらしいけど日本て食糧自給率低いくせに、食べ残しが三割くらいあるんでしょ。
全然もったいないって言葉大事にしてないから。
今日の町山智浩のラジオで言ってたけどアメリカとかだとスーパーで賞味期限が切れた弁当とか配ったりするらしいね。変形した缶詰とかも配ったり。
日本はスーパーもコンビニも弁当が余ったら捨てちゃうでしょ。もったいないな。
やっぱりそういうのを配ったりすると買わないで賞味期限切れを待つ人が出てくるからだろうな。もったいないな。


昨日の宮崎哲弥だけど一日10冊ってそれは早すぎる。速読って奴か?って思う人もいるかもしれないけど、速読はしてないって言ってた。多分ね、スキームがあるのでしょう。
わからないかな?だいたい論文なんてものは論点が決まっていて出てくる語彙も限られてくるから同じような種類の本だったら早く読めるのではないかな。
例えば、靖国問題だったら政教分離はどうする?とか周辺諸国の反応とか?だいたい書いてあることは決まってくるわけでしょ。だから早く読めるのではないかな。
逆に物理学とか用語からしてわけがわからないものは早く読めない。
同じ分野の本を読むときは一冊目が一番時間がかかってその次からどんどん早くなるものだと思うよ。
で、小説とかは早く読むものではなくて楽しむものだから遅くてもいいと思うな。
本を早く読みたいと思ったら早く読もうとする意志が大切だみたいなことが速読術の本に書いてあったな。まったくその通りだ。それから多く本を読むことが早く読む秘訣だと思う。当たり前かな。
小説でも純文学とかはとりあえず最後まで読み通せばいいと思うな。それで何か感じればいい。推理小説とかは伏線が張ってあったりするのでちゃんと読まなくてはいけない。
評論も何度も同じ事を手を換え品を換え言っているだけだから読み飛ばせばいいと思うよ。
評論は作者の言いたいことではなくてちょっと脱線した具体例が面白いこともあるのでそこに線を引いてノートに書きこむといいと思うな。
純文学は好きな文章は何度も読み返したりして影響を受ける。
影響を受ける文章に会うことはまれだからいろいろな作家の文章を読んでおくといいと思う。
私は坂口安吾の文章に一番影響を受けた。高校のときは今より文章がうまかった。安吾を読み込んでいたから。
文体というのは一種の剽窃であるから剽窃をしたくなる文章に出会うまでいろんな作家の文章を読んでおけということかな。