生きろとは言わん死なんでくれ

青山真治監督の「ユリイカ」という映画では役所広司が一緒に旅をしていた子供にこう言うわけです。
思いっきりネタバレしていいですか?












役所広司が行きがかり上、一緒に旅をしていた少年は実は役所広司の周りで起きていた殺人事件の犯人であった。快楽殺人鬼であった。
少年が犯人であったと分かったときに役所は「生きろとは言わん死なんでくれ」と言い放つ。
これは大変なことですよ。
殺人を犯すような罪深いお前でも俺にとっては大事な存在だ。
だから「生きろとは言わん死なんでくれ」ということですな。
少年犯罪に対して厳罰を下すべきだという風潮が高まり始めた時代にこんなことをぬけぬけと主人公に言わせてしまうのはすごいことですね。
というわけで、人殺しさえも特定の人間にとってはかけがえのない存在であることもあるわけです。
で、マイミクさんでいつも仕事ができないから自分はブスだから死んでしまおうと日記に書いている人がいるのだけれど、その人に会ったこともないし写真も見たこともないので分からないけれど、百歩譲ってその人がブスで仕事ができないからと言ってもなぜ死ななくてはいけないのだろう。
能力がないから人に迷惑かけるから死ななくてはいけないのだろうか。
それはおかしいと思う。
それでは知的障害者のような働きたくても働けないような人、社会的には何の役にも立たないコストしか掛からないような存在は死んだ方がいいということになる。
自己責任という言葉が流行りだしてから、能力のない人は淘汰されて当然という主張がされるようになってきた。
だけど、そんなの間違いだ。
ユリイカ」のように人殺しさえも生きる権利があるとまで過激なことを言うつもりはないが、社会の役に立ってないと思っても生きていてほしい。
ドラえもん のび太結婚前夜」という話ではしずかちゃんのパパの寂しそうな姿を見て
しずかちゃんがやっぱり結婚するのをやめるという。
しずか「私はパパに何もしてあげられなかった。パパを残して結婚できない」
パパ「とんでもない。きみはぼくらにすばらしいおくり物を残していってくれるんだよ。」
「最初のおくり物は君がうまれてきてくれたことだ。」
「それからの毎日、楽しかった日、みちたりた日びの思い出こそ、きみからの最高のおくり物だったんだよ。」
「少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさ。」
「そんなこと気にかけなくていいんだよ。」
と諭す。

というわけで、君が生きているだけで喜んでいる人がいるのだから「生きろとはいわん、死なんでくれ」