川田亜子

今日の朝、川田亜子コミュニティで自殺を知ってから、ずーっと気分が悪い。
体も心も調子が悪い。
あったこともない人なのになんでだろう。
日曜日はテレビでコンスタンティンを観ていた。
悪魔と天使が戦うという内容だった。
川田亜子の中でも悪魔が生まれて、悪魔が勝利した。
川田亜子には何よりも笑わせてもらった。
女性の心を逆撫でするようなヒールっぷりをゲラゲラ笑いながら見ていた。
天下のSMAP稲垣吾郎を翻弄するボディタッチの技に酔いしれた。
西川先生と違って川田亜子はリアルにモテそうなところが面白かった。
英語もフランス語もペラペラだったし、スーツと眼鏡が似合った。
頭もルックスも申し分なかった。
ユーモアとサービス精神があるところも好きだった。
伊集院光とのラジオは聞いたことがある。川田亜子ファンである私が聴いても噛み合ってなかった。
伊集院という人は学校で例えると社会ばっかり勉強していろんなことを知って喜んでいる
タイプ、川田亜子は外国に憧れて英語ばっかり勉強しているタイプという風に全く違う。
川田亜子は知的好奇心があまりない人だと思う。
そこが、伊集院の話にあまり興味がないようにリスナーにも写った。そして、ちょっと気の利いたことを言おうとすると伊集院に全否定された。
アナウンサーらしからぬ性格が全く裏目に出た。川田亜子は自分を殺して聞き役に徹するということが出来なかった。
どちらが悪いというのではなく、伊集院と合わなかっただけだ。
川田亜子は報道志望だったらしい。英語もフランス語も出来るので、それは無理からぬことだ。だが、英語とフランス語が出来たからといって、今のバラエティ番組のような報道番組に何の役に立つというのか。
案の定、適役とはいえなかった。ヲタク的感性がゼロで、何かを知るということに喜びを持つタイプではなかったからだ。報道番組をしていても取り上げられていることに興味がないことが視聴者にも感じ取られてしまう。
だが、コスプレしてどっかに潜入して小芝居をさせたりするとかなり映えた。それは報道とは関係ない世界である。
川田亜子は女子校出身だ。普段は女子と一緒にいるが、放課後や週末になると、コンパに出かけ、そこで会った男をたぶらかしてはネタにして女相手に笑いをとり、男も女も味方につける人だと勝手に想像していた。だから、ああいうオーラをいつも放っているのだと思っていた。
だから、この人だけはずっと幸せでいることは確実なのだから、私がファンとして見守ってなくても絶対に大丈夫だと、最近はテレビも観てなかったし、ブログが報道されたときもスルーしていた。
だが、あのオーラはなんだったのだろう。ろうそくが消える前の一瞬のきらめきだったのか。
どこで、間違ってしまったのかな。
あんなにルックス学歴地位収入に恵まれた人がなんで自殺しなくてはならないのだろう。
私だけではなく、誰の目にも幸せに見えた人があんな悲惨な最期をとげた。
だから、ショッキングなのだろう。
だから、これだけ取り上げられているのだろう。
それと死にたい死にたいと言う奴は死なないとよく言うけれど、それはウソだからな。
私の大学時代の後輩は自殺した。
いつも死にたい死にたいと言っていた。だけど、みんな笑って聞き流していた。
そして、死んでしまった。
その後輩も何の死の前兆がなかった。
川田亜子も前兆がなかった。
ブログのことも笑ってネタにすると思ってた。
死は不意にやってきた。
そして、これからも不意にやってくるだろう。
なんだか、幼なじみの死に立ち会ったような気分だ。
さよなら。