加藤はお笑いか作家になるべきだった

秋葉原の通り魔の苛烈な就業形態が分かってきた昨今、加藤に対して共感の声も上がっている。
私も加藤に同情する気持ちもあるが、ただ私の場合は人を殺すという一線は越えないと
思う。
人を殺す勇気があるなら、お笑いになればよかったと思う。
で、ワーキングプアを題材に漫談をやるといい。
ニートという設定で漫談をする、ガリガリガリクソンという芸人がいる。
ガリガリガリクソンはかなりルックス的によくない。
だが、それすらも武器になる。
ルックスにかなりコンプレックスを感じていた秋葉原の事件の犯人も
芸人になればマイナスをプラスに転じることが出来たはずだ。
掲示板に書き殴ったところで、ワーキングプアニートはネット上に
かなり多く生息しているためにそれほど目新しい存在になることができない。
芸人のようにネタを作ることができないなら文学賞に自分の生活を綴って応募する
べきだったのではないか。
ネット上の掲示板に愚痴を書くエネルギーがあるなら、小説を書くことも出来たはずだ。
マイナスの経験も小説ならプラスに転じることができるのだ。
小説によって世の中に自分の境遇の苦しさを訴えることができたのではないだろうか。
というように私は芸術を信じている。
犯罪を犯す人間の苦しみを昇華するには芸術しかありえないと思う。
もちろん、政治がなんとかしてくれるのが一番いいのだが、今の政治には全く期待できない
以上、最後に逃げ込むべきものは芸術ではないのか。