レスラー

レスラーを観る。
エンドロールを終わっても立ち上がることが出来なかった。
終わった後、駐車場の車の中でも思い出し泣きをする。
基本的にはそんなに悪い人は出てこないのに、主人公はなぜあそこまで悲劇的な人生を送らねばならなかったのか。そんな疑問が頭を渦巻く。

人気プロレスラーだったランディ“ザ・ラム”ロビンソン(ミッキー・ローク)も、今ではトレーラーハウスで寝起きし、スーパーでアルバイトをしながら方々を回り、辛うじてドサ周りのプロレス興行を続けていた。ある日の興行後の控え室で摂取した薬剤の蓄積で心臓発作を起こす。病院のベッドで目覚めたランディに医者はリングに立つ事を禁じてしまう。そんな彼と顔馴染みのストリッパー、キャシディ(マリサ・トメイ)に好感を持つが、2人は何時までも一線を越えられないままでいた。一度は引退して新しい仕事に就き、疎遠だった一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)との絆も修復し、人生の再出発を計ろうとするランディではあったが・・・


主人公がストリップに通ってストリッパーをなんとかアフターに誘おうとするところが涙ぐましくていいと思う。リアルな恋愛事情がいかにも大人の映画である。主人公がトレーラーハウスに住んでいて家賃を滞納しているために大家に部屋に鍵を掛けられてしまうところが胸が苦しくなった。サイン会をやってもほとんど客がこないとか、そういった経済的に苦しい様をきちんと描いているので、観ているこっちは胃が痛くなりそうになった。
主人公が好きになるストリッパーも娘も純粋無垢な存在ではなく、かといって悪い女でもなくそこらへんにいそうなたたずまいをしていて、基本的にはいい人なのに主人公の間が悪かったりするためにすれ違いが生じたりする。そこが悲しい。
レスラー仲間もヒールでありながら、リングを降りると非常に紳士的であり、一流のレスラーであった主人公に対するリスペクトも忘れない。基本的には暖かいのにそれぞれキャラクターが立っているところがいい感じだ。
暖かい人間に囲まれて本当は幸せでなくてはいけないはずなのに、不器用な生き方しか出来ない主人公にとってリングの外の人生はリングの中よりも主人公にとって「痛い」ものであった。レスラー仲間はたくさんいるはずなのに、やはり心の通じ合う女がいないと男の人生はこういう悲しいものになってしまうのだなと思った。
ミクシィのレビューでダメ男の主人公がという書き方をしたものがあったが、私は全然主人公をダメだと思えない。スーパーの仕事も一生懸命やっているし、人間的にもとてもいい奴だ。だが、やっぱりスーパーの仕事は自分が愛してしている仕事ではないのだ。プロレスでは鉄条網の上に倒れ、業務用のホチキスで体を留められるような目にあっても弱音を吐かない。
だが、スーパーでチーズを切るカッターで手を切ってしまうとそれまでためていたものもあってキレて暴れてしまうのだ。
同じ血を流すのでも違うのである。
納得して愛している仕事とお金のために仕方なくしている仕事の違いである。
で、ドキュメンタリーのような映像と俳優の演技でリアリティがある映画になっているが、リアリティがあるだけではなくて、脚本も素晴らしかった。とくにコネタというか細かいところをちゃんと作ってあった。最初の主人公が全盛期だったときの新聞記事だけでもお金が掛かっているなと思った。なぜ日本映画はCGとかセットとかばっかりでそういうところにお金を掛けないのかなと思った。主人公が全盛期に作られたファミコンゲームをまだ持っていて、近所の子供とやるところなんか良かった。ファミコンゲームを作るのも大変じゃないか。
とにかく、脚本も俳優も演出も素晴らしいので、観てほしいと思う。
ところどころ、プロレスの痛いシーンもあるけれど、それも我慢して観てみよう。