101回目のプロポーズと卒業

今日の「SMAP×SMAP」は武田鉄矢浅野温子のコンビだったらしい。
最近浅野温子が気になって仕方がない。

この動画を観たからだ。
浅野温子という人は時代を代表しすぎて、時代が終わるとともに失速していった気がする。
個性的な演技ゆえに飽きられてしまった。
でも、今みると演技もちゃんとしている。
真似されるだけの演技をできるというのは立派なもんだ。


そんな気になって仕方がない浅野温子は置いといて、101回目のプロポーズについて。
最初、武田鉄矢は最後ふられる設定だったらしい。
でも武田鉄矢演じる星野達郎を幸せにしてあげてという声がテレビ局に殺到して、ああいうラストになったとのこと。


野島伸司のドラマには映画「卒業」のように結婚式で婚約者にフラれるという設定がよく出てくる。
登場人物の台詞で「残された婚約者がかわいそうだ」という
のもよくある。
奪った側ではなくて、残された婚約者の側に立ってドラマをつくろうという思いが野島にはある。
であるがゆえに、武田の恋愛も本当は成就してはならなかった。
今まで奪わる側だった武田が最終的に奪う側に回るだけであり、それでは誰かが悲しむことに代わりはないからである。


野島の中で101回目のプロポーズの成功は棘のように残りつづけた。
そして、野島の作家性が爆発したのが「世紀末の詩」である。
このドラマの中のひとつの話で、斉藤洋介という俳優が目の見えない女の子のために尽くす男を演じている。
ハッキリ言って斉藤洋介武田鉄矢と同じくらい不細工である。
目の見えない女の子の手術代を稼ぐために斉藤洋介はお金を貯めて、女の子は手術に成功。しかし、女の子は斉藤洋介の姿を初めて見て幻滅し、お金持ちのイケメンの元へと去る。
野島がほんとうにやりたいことをやったのだ。
最後まで奪われる側を主人公にしてドラマをつくったのだ。


世紀末の詩」は竹野内豊木村佳乃の恋愛を縦軸に全話を通じて二人の恋愛が描かれる。竹野内豊も結婚式で花嫁に逃げられた花婿という設定である。そして、木村佳乃が結婚することになり、「結婚式に奪いに行く」と竹野内豊は言うのだが、実際は行かない。行ったら、奪う側と同じになってしまうから。
結婚式当日、自分の愛の証として風船をふくらませて、結婚式場から見えるように飛ばすのだった。


卒業のシチュエーションを憎み、奪われた側に過剰に感情移入する野島伸司
だが、果たして卒業は奪われる側の悲しみを考えないどうしようもない映画だったのだろうか。
それは違う。


「卒業」でダスティンホフマンが花嫁を奪った後にバスに乗る。二人は最後、無表情になる。花嫁を奪った高揚は冷め、「これからどうしよう」という思いが二人をよぎるのだ。
ことほどさように映画というものはほつれを含んでおり、
花嫁を奪って万々歳というわけではないのだ。
奪う側だっていろいろ大変なのだった。
というわけで、野島伸司は「卒業」を誤読していたのかもしれないが、結果的に「101回目のプロポーズ」と「世紀末の詩」という傑作ドラマを生んだから全然オッケーである。
クリエイターは批評家ではないので、誤読して構わないのである。