エブリーシング

えぶりーしん、えぶりーしん、さぶりーしん、佐分利信は小津映画の常連。
ということで、今年もフジテレビで「やまとなでしこ」再放送です。久しぶりにビデオを起動し録画。
こんなにいいドラマがいままであったでしょうか。
観るたびに発見があります。
このドラマは嘘をテーマにしているので、すべての構造が本当と嘘の二重性でなりたっています。
そこにコメディがなりたっているのです。
だから、堤真一が金持ちのフリをするときに笑いが生まれ、それがすぐに嘘だと分かり(ドラマの第2回の段階)、その後も新たな嘘が生まれて、それを取り繕うというパターンで展開されていきます。
そして、自分の気持ちにも嘘をついていた主人公も本当の気持ちに気づくという物語です。
ホリエモンが登場し「金があれば女もついてくる」と豪語する
はるか前にお金と恋愛をテーマにして、お金持ちを追い求める主人公を嫌味なく描いた脚本家は慧眼の持ち主だと思います。
考えてみればお金というものも、ただの紙切れや金属であり、
そこに幻想がまとわり付いているためにみんなありがたがるわけです。
いうならばお金というものは嘘で成り立っているともいえる。
そのお金と女性の心を対比させてコメディとして成立させ、
さらにみんなが納得しうるラストに持ち込むとは相当の
作り手は知性の持ち主に違いありません。
お金も自分の心も確かなようでいてちっとも確かではない
という。
「結婚」と「お金」の問題をフェミニストが研究材料にする前に徹底的に考え抜いたのもすごい。松嶋奈々子演じる桜子のオモシロ台詞が視聴者を笑わせながらも論理的に正しいために考えさせ、最終的には泣かせるのもすごいですね。
視聴者にも笑いと涙の二重構造を強いるのです。
というわけで、稀代のヒールキャラクターとして設定されながらも、とてつもなく主人公が魅力的に見えるのも、
これも資本主義の宿命なのでしょうか?
ブランドの魅力と魔力をテーマにしたプラダを着た悪魔を5年も先取りしていた「やまとなでしこ」はおそるべしというべきでしょう。