なぜ、ここにきて芸能界が壊滅状態になったのか

玉置浩二石原真理子復縁から始まってお塩・のりピー事件まで今年になってから芸能界で大事件が続くのか私はずっと考えていた。
全く予想もしなかった不可解そのものという事件が続く、芸能の世界への信頼を人々は完全になくしてしまった。これは壊滅状態といってもいい。
しばらく疑問への答えが出なかったが、小説トリッパー2009年夏号の橋本治インタビューを読むことによって疑問が氷解した。
1989年というちょうど20年前にカギがある。
1989年という偉大な人が多く死んだ(終わりの始まり)の年から20年経ってゆがみがすべて噴き出したのだ。
引用しつつ、解説したい。

橋本 (略)1989年について最も重要なことが何かを言ってしまいますと、1989年は、日本人が「アタマ」を失った年なんです。日本では組織の上の人間がものを考える役割も担ってきたわけで、頭脳の意味での「アタマ」も、頭領の意味での「カシラ」も、1989年を境に失われてしまった。昭和天皇の死というのは、それを象徴していたんです。その前後には、あらゆる分野で「アタマ」だった人たちが立て続けに死んでいったけれど、そのことで日本の文化はものすごい勢いで死んでいったけれど、そのことで日本の文化はものすごい勢いで変わってしまいました。手塚治虫美空ひばりが1989年に死んだあと、漫画や歌謡の世界に興隆があったかと言ったら、くりかえし手塚治虫美空ひばりリバイバルがあったぐらいでしょう?「アタマ」もなければ「カシラ」もいない時期が、現在に至るまで日本は続いてきたんですよね。

日本の象徴たる天皇崩御された年、漫画の神様手塚治虫も昭和の歌姫美空ひばりも亡くなった。
芸能界の中で神様的存在の人が亡くなって、それから後継者は現れていない。
バラエティ番組でのキャラさえ揺れていて、明確な自己さえ確立していない和田アキ子というトリックスターには美空ひばりの役割は荷が重すぎる。
美空ひばりというリーダーを失って20年目の今年、すべてのゆがみが飽和状態になって、
いろんな事件が突発したのである。

「アタマ」を失ったというのは、日本人の集団の最小単位である「家族」においても同じであって、父親の存在意義が薄くなっていくのも、この時期からです。だから「家族って何だろう」ということがわからなくなり、家族を結成するための結婚という制度もわからなくなる。結婚が個と個の結合みたいなものとされてしまったことで、「愛があったら何とかなるだろう」なんて思い込みも生まれるわけです。すると、家族には男女のエゴが渦巻いて、簡単に破綻するしかなくなってしまう。本来、男と女が集まって作った「家族」という一つのシステムを動かすには、それ用の「アタマ」が必要なのに、そのあとの時代には「家族」のあり方がわからなってしまうわけです。

家族が個と個の集まりになっていったこの20年。
「愛があればなんとかなるだろう」という考え方の象徴が押尾学矢田亜希子カップルであり、
のりピーと偽プロサーファーカップルであった。
この二組のカップル、驚くほど父親臭・母親臭がしない。
したがって、家族は個の集まりにしか見えない。
お塩・のりピー事件は崩壊した今時の家庭が引き起こした事件である。

−そういう、日本人にとっての「アタマ」ってどのようにして失われていったのでしょうか。
橋本 近代まで遡らなければならない問題ですが、やはり戦前から戦後にかけて、昭和のある時期に、だんだんと作られていった状況でしょうか。天皇を「アタマ」にした国家が、強圧的になって国民を戦争に向かわせていくけれども、終戦後、アメリカによって民主化され、天皇も象徴として一人の人間になってしまう。つまり、集団から個に解体されてしまった。「日本人はアメリカ人のような個人単位のシステムでやってこなかったのに、個として解体されたらどうなるのだろう」というのが戦後の数十年間のプロセスで、実際で1980年代にさしかかるあたりから言われていた「ニュー・ファミリー」という家族像についてても、出現の段階で「これが家族でいいのか?」という疑問はあったし、その一方で従来型の家族も家庭内暴力といった事件によって否定されていくわけです。そういう日常の断片が少しずつ日本を侵食していって、それが明らかに見えるかたちになったのが昭和天皇の死だったのではないでしょうか。
 つまり、1989年には、日本人の「アタマ」が崩壊したけれども、自分たちは何が崩壊したのかわからないままだった。ただ、その「アタマ」の崩壊が起きたころは、ただ日本経済は破綻していないんですから、経済の問題でなかったことだけははっきりしているわけです。しかし、バブルが弾けて不況になってしまうと、日本人は経済さえ回復させればなんとかなると思いこんでしまう。経済を回復させるべき問題が見えなくなって、「経済ではなく人間の問題」という根本の原因も見えなくなってしまうわけですね。
 そのころから現在まで、たとえば日本政治の「アタマ」もずっと不在のままです。首相は短命で、小沢一郎が辞めるか止めないかのときでも、「後任がいない」が問題になるでしょう。人間の集団は「アタマ」を必要としているのに、「まぁ、みんなの代表なんだからあまり深く考えないでやってよ」みたいになっている。そんな集団の「アタマ」なんてあるものかと思ってしまいます。

バブルで弾けたように見えたのは経済だけではなかった。
それを経済だけの問題として解決しようとして時間が失われた。
リーダーたるべき人間が亡くなったのに後継者が見つけるわけでもなく、なあなあに20年過ごしてしまった。
その結果、日本社会全体で矛盾が噴き出し、政治・文化・芸能の世界で一見不可解な事件が連発するという有様になっている。
政治の分野では、民主党への政権交代というのが今年の象徴的な出来事になるだろう。

−橋本さんは前に「20年という時間の幅は意外と大きな意味を持つ」と書かれてしました。昭和が終わってからの20年の時間の幅についてはどう思われますか?
橋本 私は戦後生まれの人間だから、戦後20年の節目が東京オリンピックだというのはよく分かるんですね。それで自分が20歳になったときには、改めて「戦後20年」と言われた時の時間感覚を考えて、「20年は大昔じゃないか」と思った。今の「昭和後20年」はそれとは違いますよね。昭和が終わったことによって、何が変わって、何が終わったのか、誰もわからないまま、変化はなかったことにされている。だからかつての「戦後」という意味での時間の幅はないんですね。

戦後20年経っての東京オリンピックがあったように、20年という節目は単なる時間ではなく意外と重要な意味を持つ。
流行は20年周期で繰り返すことをみても分かるように20年は単なる区切りではない。
美空ひばりの死から20年経って、のりピー事件というのも重要な意味がある。
昭和の歌姫の死からアジアを代表する人気女優の逮捕である。

訃報を記録するだけでも、世の中は全体としてどう動いていたのか、客観的かつ断片的なデータだけれども、その集積が何かを物語ってしまうことはあるんですね。89年というのは、そのクライマックスというか、「アタマ」の人たちが亡くなっていった「大死亡時代」のピークの年かもしれない。

1980年代から偉大な人々が多く亡くなっていった。そのピークは1989年になる。
それから20年、芸能界でも衝撃的な事件のピークになった。
というわけで、最近の芸能界の激震ぶりは個人のパーソナリティーだけ考えて理解できる問題ではない。少なくとも20年くらいのスパンで、日本全体の構造を考えなくてはわからない問題だったのである。