メゾン・ド・ヒミコ

メゾン・ド・ヒミコを見てきました。★★★★☆。
以下ねたばれあり。
柴崎コウの代表作になるでしょうね。
柴咲はおかまにブスと言われるのですが、化粧してないので本当にブスに見えます。
眉も描きそばかすもつけたそうです。
化粧するシーンがありそこではきれいに見えるので柴崎ファンもオッケーです。
あといろいろコスプレするのでそこも見所ですね。
この映画は「ジョゼと虎と魚たち」と同じ脚本家と監督コンビなので、例のシーンもあります。
まあ、ディープキスのシーンなんですけど。
日本のドラマとか見ているととてもじゃないがキスがリアルじゃないのですが、ジョゼはすごかった。
18禁にすべきだと公開当時友達と話し合いました。
で、あれは何なんだろうと私考えてましてね。
今回の映画を見てようやく回答が見つかりました。
キス>セックスということなのだろうと思います。
価値を逆転させているわけですね。
キスというのがセックスに至る過程にしか過ぎないという価値観をひっくり返しているわけです。
その証拠に今回の映画ではオダギリジョー柴咲コウがセックスしようとして失敗するわけですけどキスだけは出来るわけです。
柴崎は他の男とセックスするシーンがある。だが、その男よりもオダギリジョーのことを大切に思っているわけです。
それほどキスが大事だよといいたいわけですけど。
もう一つの価値の転倒が行われていて、愛なんかなんなんだよ。欲望が欲しいんだよ。みたいなことをオダギリジョーが叫ぶのですが、この台詞が大事。
ここで欲望>愛という価値の逆転が行われている。
ジョゼでは主人公妻夫木聡池脇千鶴を振って上野樹里のほうを結果的に選ぶのですけれど池脇はヌードになって頑張ったのにあまりにも寒々しい裸にブーイングが集まり池脇は人気が下がってしまいました。
だが、あの寒々しい裸にこそ意味があって、だから主人公は上野樹里を選ぶんだな。と観客は思うわけです。
妻夫木は明らかに池脇のことを愛しているのに巨乳だと言う設定の上野のほうを選ぶ。体目当てでしょう。
ここで欲望>愛という図式が見えましたね。
そういう意味でジョゼは反純愛映画として素晴らしい映画です。
で、この映画ではオダギリジョー柴崎コウは欲望を選びそうになるのですが、結局愛を選んでしまう。
のかと思いました。
けど、よく考えたら、とも言えなくてキスという欲望と愛の間にあるものでオダギリジョー柴崎コウは結びついている。
オダギリジョー柴崎コウが全く何もしなければ愛を選んだんだね。という普通の映画だと思うのですが。
ここがこの映画の微妙なところであるのだと思います。
ディープキスという極めて性行為に近い愛情表現がこの映画に頻繁に現れるのはそういう意味でしょうね。