バージニア工科大学の事件

風邪だろうか。まあ、いいやヴァージニア工科大学の学生に比べたらどんな病気であろうと私は幸せだ。今生きているのだから。
本当にこういう事態が二度と起こらないようにいろいろ考えた。大学の出入りを警備するチェック機能というものは不可能
だろう。自由こそが大学の素晴らしさであると思う。日本でも門のところに警備員が立っていたりする。しかしテニスラケットが入っているような大きなボストンバッグなどをぶら下げている学生を見かける。
ああいうバッグの中に何かを隠せば日本でも犯罪可能である。町山さんのポッドキャスティングのラジオによるとアメリカの大学は塀自体がないから、誰でも出入りができるらしい。
それにしても大学の中で1人死んだ時点で、休講にならない
というのはすごい。
そういう事件は頻繁に起こっているから珍しくないのだろうか。日常なのだろうか。
統計を見ていないから分からないけれど、そういう風景が日常なら警察だけを責めるのはかわいそうな気がする。
失恋してガールフレンドを殺して、ドイツ語といういかにも単位を取るのが大変そうでそのくせあまり役立たなそうな教養あふれる学問を履修している真面目学生をドアの前に立ち鍵を閉めて銃を乱射して殺すというその陰惨さが嫌になる。
男のくせに失恋くらいで悩むその精神構造に腹が立つ。
はっ。恋愛→失恋→ピストル自殺といえばドイツ文学のもっとも有名な作品である「若きウェルテルの悩み」そのものではないか。この作品を読んだ若者の多くが自殺をして社会問題化したという。
ドイツ→ゲーテ→「若きウェルテルの悩み」という。
この符号はなんなんだろう。
考えすぎならいいのだが、犯人が「若きウェルテルの悩み」を読んでこの事件を起こしたとしたら、怖すぎるだろう。
こういう事件が起きるとメディア論が巻き起こるのが通例であるが、メディアといってもゲーテの古典では、絶対に取り締まれない。
恋愛至上主義的な渦が大きくなって世界を席巻してこの事件が起きたと私は考える。
その流れの源にゲーテもいる。
恋愛映画をけっと思って観ているどっちかというと銃撃戦いっぱいのアクション映画好きの若者はかえってこんな犯罪を起こさない気がする。
ということで、今までのメディア批判は間違いな気が。
どっちかというと、犯人は韓国人なので、韓国でも大人気の「セカチュー」とか「LOVE LETTER」を観ていて影響された可能性のほうが高い。
恋愛を至上のもので何にも変えがたいと人間の大半が思っているこの現状を変えていくことでこういう事件がなくなっていくだろう。
恋愛より平和が幸せである。
ラブアンドピースではなく。ピースアンドピース。
この思想を浸透させたいものだ。