ALWAYS 続・三丁目の夕日

レイトショーにて。
さっき観終わった。
目を泣き腫らして出てくる客多し。
鈴木オートにエリカ様のようなわがままな、はとこの女の子が預けられる。
一方、茶川先生は竜之介を取られないために芥川賞を狙うが…という話。
大泣き1回。小泣き5回という感じだ。
ずっと涙のジャブを打たれていた。
前回のような大号泣といかないまでも泣けること必至。
伏線が貼ってあって観客の予想通りになるのに泣けるのはなぜだろう。
今回を時代背景を描いていたのだが、必要なのだろうかと思った。
時代背景を知らなくても泣けるのがこの映画のよさだと思うからだ。
今回はちょっと時代を強調するところがくどく感じた。
個人的には全く長くは感じなかったが上映時間は2時間20分以上ある。
削るべきだと思った。
それにしても、この映画は自己言及的な映画であるなと思った。
三丁目の夕日といえば登場人物の煤けた顔である。
サザエさんのサブちゃん的なポジションで新キャラが登場するのだが、そのサブちゃん
キャラがわざとつけた煤けた顔で同情を惹き、「工場がつぶれて代わりに給料でこれをもらった」と万年筆を通行人にだまして買わせる。
まるで煤けた顔で同情を惹き金を払わせるこの映画のことではないか。
と思いながら観ていた。
茶川先生を仕上げた小説を「甘い」と評する人がいて「しかし心がこもっている」と評する人もいる。
茶川先生の小説はこの映画と同じものだといいたいのかもしれない。
この映画は観る人が観れば甘いけれど、心がこもっているのだよと。
煤けた顔とかうんぬんしないで本質を観てほしいと監督に言われている気がした。