半田健人君に学ぶ

半田健人君というのはサブカル界のしょこたんみたいな人です。
男でオタクを標榜するというのは売名行為だと見られるので、
かなりリスキーだと思いますが、オタクはオタクでも建築オタク、昭和歌謡オタク、高橋留美子オタクなどとつっこまれにくい分野について語っているので逆に賞賛の声が多いです。
高橋留美子については私も大好きなのですが、なぜ宮崎駿がこれだけ語られているのに
高橋留美子についてはあまり語られないのでしょうか。
まあ、語られているのでしょうけど、宮崎駿高橋留美子をつなげて語ろうとする文脈
が見当たらない。
例えば、千と千尋ですが、あれは「うる星やつら」の諸星あたるが銭湯で働くという回に似ているし、あのドロドロした物体が襲ってくるところも「犬夜叉」に似た場面があると思うのですが。
誰も気がつかないのでしょうか。それとも自明の理というか当たり前すぎて誰も言わないのでしょうか。
で、半田健人君の話の面白さは濃い誰にも分からないような話をすることとともに
普遍的な分野にも片足をつっこんで両方を行き来するところにあると思います。
この前「失敗学のすすめ」という本を読んだのですが、そこには同じような話をしても語り手に
よって面白く感じるときと感じないときがある。それはなぜかという理由が書いてありました。
話がうまい人の話をそのまま真似て構成を変えたところでつまらない人の話はつまらないままである。話の順番が面白い理由というわけではないとあります。
話が面白い人は瑣末な知識を話しても普遍的なもっと大きな事柄と結びつけて話すことが
できます。
そこが面白いのだそうです。
半田健人君の話も歌謡曲の一曲を取り上げながらそこに歌謡曲論をまぶしているところが
面白い。
たとえば、昭和の歌謡曲は物語があって、最後には聞き手の想像に任せているとか
そういうことです。
あとは半田健人君がオタクであることに全く含羞を感じておらず堂々としているところに
好感が持てます。
変に恥ずかしがっていると話の聞き手は恥ずかしいことなのだと了解します。
ナンパや恋愛のマニュアルのたぐいを読んだことがありますが、そこに共通して書かれているのは自信を持つことだとあります。
安野モヨコのマンガにも自信のあるブサイクがモテるという話がありました。
半田健人君を観ているとそのことにうなづかされます。
で、あるので全く照れずに好きなことを普遍性を持ちながら語っていけば人に伝わって
いくのではないかと私は信じるのです。