KYは終わった

すぐKYとかいうやつに、「ときにはKYになっても自分の意見を言うべきだよ」
とか言ってたけれど、全然話聞いてくれなかった。
そっちのほうがKYだと思った。
そして、最近はKYになってもいいから、自分の正しいことを貫くという「斉藤さん」
というドラマも人気があって、やっぱりKYという抑圧的な言葉は消えていくのかもしれない。
やはりテレビというのはその当時の風潮に流されてはいけない。
逆をやれば目立つのである。
放送作家セミナーで売れっ子作家が言っていたが、「学校へ行こう」も学校が荒れている
という報道があったときにあえて健全な学生たちが出るバラエティを作ろうと思ったという。
ちょっと前に流行ったチョイ悪というのも大嫌いで、逆に枯れたオヤジブームを仕掛けるべきだと思ったが、枯れたオヤジに萌えるという記事を見つけた。
やったである。
最近嫌いな言葉はSとMという言葉である。
人間が2種類に分けられるわけはない。
いじめっ子が人をいじめるときにあれはドMだからいいんだよという風に免罪符として
使っているのだと思う。
いじめられて楽しいという人はそういないわけだからやめたほうがいい。
というか好きな人にいじめられるから楽しいわけで、ドMの人もなんとも思ってもないやつにいじめられても楽しくないだろう。
私はSのときもあるしMのときもあって、人っていうのはそういうものじゃないかと思う。
だから、そんな言葉に意味なんかないんだ。
で、SとかMとかそういう言葉をなくすためのバラエティとかドラマというのは全く思いつかない。
まあ、みんな飽きて言わなくなるだろうけどね。
というかもう半分飽きてるだろう。
いまだにそんなこと言ってるのはマジKYだろう。