ダークナイト

バットマンジョーカーの戦いを描く。
とはいえ、バットマンという素材を利用した刑事物と言えよう。
フレンチコネクションやダーティーハリーにテイストが近い。
フレンチコネクションに出てきた鉄道のモノレールの下を車が通るというシーンもあるし、
ダーティーハリーに出てきたスクールバスも登場する。
オマージュを捧げたのであろうか。
ジョーカーがひたすら快楽殺人・快楽犯罪を重ね、それに対して刑事とバットマンが追い詰めて逃がしという繰り返しである。
2時間40分という尺の長さは必然性がある。観客の側にもジョーカーの執拗な暴力性に嫌気が差すように設計されているのだ。
ジョーカーは全く感情移入をさせないようにキャラクターが作られているが、一カ所だけ、観客が感情移入するシーンがある。
ジョーカーが車の上で犯罪をしたあとに両手を広げ、エクスタシーを感じているシーンである。そのシーンのみ、不安が混じりながらも限りない万能感を抱いている心情を描き、ジョーカーと観客がシンクロする。鉄の中で反響したようなバーンという音が鳴り響く。このシーンでは、嫌な音にも心地よい音にも聞こえる金属音が使われている。この映画では鉄と鉄が擦り合う不快でありながらも、ある特定の人々を引きつけてしまう音が全編を覆っている。
銀行の金庫をドリルで削るとき、車と車がぶつかり合うときその音が聞こえる。
一般人は不快に感じる音をジョーカーは好きでたまらないのだろう。
ジョーカーに感情移入させないためにジョーカーの口が裂けている理由も二転三転する。
まるで、犯罪者のトラウマ暴き立てて、いろんな理由付けするマスコミにも似ているではないか。
この映画ではジョーカーが犯罪を犯したあとに暴力によって制裁を加えられることはない。
もし、ジョーカーが暴力的な制裁を加えられたら、観客のサディズムは満足し、観客は喜ぶであろう。制裁が加えられないことで、宙づりの感情の中に自分の中にもジョーカーと同じ精神構造があることにかえって観客は気づいてしまう。
この映画ではヒース・レジャーという俳優がジョーカーを演じている。
ヒース・レジャーは今年の1月に亡くなってしまったそうだ。ジョーカーの役に入り込みすぎて、躁病になり、睡眠薬などのドラッグの投与によって亡くなってしまった。
その彼の命がけで演じたジョーカーは本当にキチガイに見え、それが証拠にいつも化粧がはがれかけている。
ジャック・ニコルソンと比較したときの化粧の仕方の違いだけでもこの映画がリアルに犯罪者を描こうとしていることが分かる。
金も女にも興味がなく、ただ人を不快にさせることを喜ぶこの犯罪者の凶悪ぶりは必見である。
その凶悪ぶりに出来る限り共感させまいとする製作者の賢さが素晴らしいと思った。