節子の死は自己責任

火垂るの墓は、明らかに自己責任である。
まず、親戚の家を出たのがよくない。
我慢していれば三食もらえたはずだ。
簡単に後先考えずにキレて行動するとろくなことにならない。
親戚の家を出て、防空壕などで生活するというのは考えなしである。
少し考えれば親戚の家を出たら飢えるというのは分かったはずである。
次に働きもせずにフラフラしていたのがいけない。
選ばなければいくらでも仕事はあるはず。
それを畑泥棒などの反社会的な行為に手を染めなくては食料を得られなくなってしまった。
食えないからといって何をしてもいいというわけではない。
倫理的に間違っている。
あの時代、食えないのは当たり前で、その中で盗みを働かずにみんながんばって生き残ってきた。
それを安易に盗みという手段に訴えるのは単なる怠けものである。
あの兄妹には甘ったれるのもいい加減にしろと言いたい。
ゆえに清太が節子を死なせたのは自己責任である。


って自己責任とか言ってしまうといくらでも責任を問えるわけで、火垂るの墓でも問えてしまう。
「節子!それ自己責任やない!国の責任や」