窪塚洋介映画復帰

窪塚洋介の記者会見を見た。黒く細いネクタイが格好良い。髪の毛は長い。やはり長い方が似合う。今、ああいう細いネクタイが流行っているのですね。あのネクタイ欲しいなあ。近所のアオキとかに行っても置いてないだろうな。土田世紀の「同じ月を見ている」原作で深作健太の映画に出るという。土田世紀の「同じ月を見ている」の原作は面白いのだが、ちょっとラストが納得いかなかった。ラストを変えれば人間ドラマとしていいものが出来るのではないだろうか。深作健太のような凡夫であっても職人に徹して撮ればそこそこのものが出来るだろう。まあ、もっといい監督の映画に出て欲しいのは確かだが。篠原哲雄監督とか塩田明彦とか黒沢清の映画とかに出てほしいなあ。行定勲とはもう組んで欲しくないな。行定も凡夫なので。「GO」も俳優、脚本100点。演出0点の映画でしょ。宮藤官九郎はもっとコメディの路線を取りたかったのに行定がシリアスな映画にしてしまった。はっきり言って差別って笑いで乗り越えるしかないっていうのが宮藤の考え方だけど行定は恋愛で乗り越えようっていう人でしょう。凡庸な考え方だ。行定が才能のない事はセカチューを撮ったことで証明されたと思うのだが、一躍人気監督になってるし。観客も批評家も馬鹿ばっかし、ダマされるなよ。
窪塚洋介君の代表作は映画だと堤幸彦の「溺れる魚」だと思う。これはいい。後になにも残らない映画なために過小評価されているが、カルト映画として残るんじゃないの。堤監督には京極夏彦も映画化してほしかった。
窪塚君はすごく真面目な人間だと思う。もう少し考えてから、窪塚洋介論、この後書きます。
やはり、我々の世代は熱い世代なのだと思う。全共闘が敗北してブランドばっかしの時代を経てまた先祖帰りしたのかもしれない。文学でも舞城王太郎とか実はすごい熱いメッセージがあって、大森望豊崎由美の「文学賞メッタ斬り」とか読むと田口ランディあたりからそういう熱いものを持った文学が復活してきたらしい。これは、不況のせいなのだろうか。自民党政権がここ十年くらいきちんと機能しなくなってきて国民一人あたり1000万円くらいの負債を押しつけられてるっていう状況で、やっぱり怒らなくちゃっていうのが出てきたのかもしれない。
で、その怒りがなぜか自民党には向かずに外国とか朝日新聞にばっかり向いちゃうのもどうかと思うのだけれど。
で、窪塚君、小林よしのりとか読んで歴史に詳しくなってとはいえヒップホップとか好きだしマルコムX自伝を読んだりして、マイノリティーにも理解を示すようになって、で、ピースの世界へと進むわけだ。で、ブッシュべったりの小泉政権批判とかが始まるわけです。
正しい。だけど、なぜか芸能界の人がストレートに政治批判するとなんだかみんなひいちゃったりする。でもそれっておかしいと思う。ハリウッドの俳優とかみんな政治について語るでしょ。まあそれはそれでうざいと思われているらしいのだが。しかし、自己主張すべきだ。全共闘の挫折の年1969年から我々日本人は政治的に何かを語ることに対してナイーブになりすぎていたのだと思う。で、我々の世代はそういう学生運動なんか知らないからストレートに政治批判しちゃうわけだ。ミニスカ右翼雨宮処凛の「新しい神様」を見て嫌悪感を抱くどころか共感してしまうのが我々の世代わけだ。で、まあ、あの映画に嫌悪感を感じる同世代もいるわけだがそういう人はメインストリームではないのだよ。で、この生きにくさはなんだろう。政治が悪いに決まってる。ということで、世直しだ。っていうのがこの思考回路ですよ。セカイ系と言われている小説もこの思想です。自分が動いたら世の中どうにかなっちゃうんじゃないのってという考え方。
で、この考え方ってあほくさいと思うかもしれないけど、実は正しいのではないか。世界は自分の知ってるところで動いてるのではないか。知り合いの知り合いで、六回知り合いをたどると世界中の人に行き着くという。世界は狭いのだ。だから、私たち一人一人がなにか行動を起こせば世界は変わっていくのだ。と私は半分本気で思っている。そして、半分あきらめている。窪塚君という人は我々世代の考え方を引き継いで世界に対して怒りそして変えたいともがいている人であると思う。
窪塚君は馬鹿じゃない。頭がいい人である。ひどい怪我を負いながらもこのことは良かったことだと言い切れるのは素晴らしい人である。普通であることの大事さを知ったというのも美しい言葉だ。私は窪塚君に全面的に共鳴する。普通であることは大事だ。私も怪我をして分かった。


汚れた舌見た。面白い。内館ドラマはステレオタイプの女性像ではなく本音を描いています。小雪、阿川もこれなら褒めるんじゃないか。男の気持ちもちゃんと描かれている。喪服に萌えてしまう藤竜也とか。他の男と楽しそうに話している飯島直子を見て食事に行くのを辞める加藤浩次、飯島とキスをし奥さんとのキスをためらう加藤浩次など。
人間なので男も女も同じなのかな。ピアノが弾けないことを異常にコンプレックスに感じる森口瑤子の気持ちは分からないな。今回のドラマで唯一分からないところ、女の人はそうなのかな。森口はピアノを弾けないことを異常に引け目に感じていて飯島にピアノを弾けないかどうか聞く。飯島が全然と言うと満足そうな森口。小道具の使い方もうまいな。飯島がいつまでも結婚しないので母親の松原智恵子は100均で呼び止められ孫がいると嘘をつき思わずオモチャをまとめ買い。そのオモチャを飯島が牧瀬里穂の子供にあげてた。
松原智恵子すごかった。自分の夫が自殺した描写を娘である飯島に訴えかけるのだが、台詞で説明する分、グロテスクで怖かった。やばい。汚れた舌の公式掲示板を見たら小学生の女の子が自分の部屋で親に隠れて見てますって書いてあったけど、教育上良くないよ。怖すぎるから。リングよりよっぽど怖いから。内館牧子は天才だ。


女性セブン立ち読み。和田アキ子の元から人が次々と去っていくとの報道。吉川潮和田アキ子は5本の指に入る歌手なのでそっちで頑張って欲しいとの趣旨のコメント。確かに下手な方で5本の指に入るんじゃない。声が大きいだけだよね。


週刊朝日小倉千加子先生、瑠璃の島は田舎=善、都会=悪という図式に陥っているとのこと。都会の方がいい人多いよ。と。確かに。沖縄に癒されようっていうのはもうやめようという気がする。最近、みんな沖縄を幻想視しすぎだから、等身大の沖縄像を描こうよ。


SPORTIVA、香山リカの連載、美人女性アスリートはディーバと呼んだ方がいい。最近美人女性アスリートがもてはやされるのは、男がナルティストになって完璧な女でも俺を相手にしてくれるという妄想を抱くようになったからだという分析。
出会い系さいとから、あややです。っていうメールが来ると本気であややがメールをくれたと思いこむ男もいるそうだ。アイドルと言っても寂しいんだなとか思ったりして。あほか。エロ漫画か。