やがて来る日のために

タイガー&ドラゴンShall we ダンス?キラーコンテンツの間に挟まれて放送していた。
山田太一「やがて来る日のために」を観る。上野樹里、演技うまいよ。ガン患者だけど健康そうに見えたが、死ぬからといって不健康そうである必要はない。案外そういうものかもしれない。市原悦子の軽い演技が良かった。ともすれば深刻に泣く叫ぶという所を描けば人の死が表現できると思いがちだ。だが、実際はこのように日常の延長としての死というものを看護士という人々は淡々と受け入れていかなければならないのでないかと思った。淡々と受け入れつつもやはり機械にはなりたくないしなれないしで、葬式から帰ってたらへたりこみそれでも他の患者が危篤と聞いて押っ取り刀ではせ参ずる市原悦子。決して冷たい人間ではなくだが泣き叫ぶわけでもなく患者の視点に立とうとして静かな戦いを挑む市原。かっこいい。チャリで患者の家に向かう堺雅人の医者と市原と星野真里、執拗に繰り返されるチャリシーン、かっこ悪くて格好良い。チャリは日本の映画とかドラマに欠かせないアイテムじゃないか?
キッズリターンのラストシーン、昨日書いた「ダンス」と「ポストマンブルース」など。いいシーンが多いな。
上野樹里は死ぬとは聞かされてないが、死ぬ運命、一つだけ願いがある。それは横浜に行きたいのだと言う。保土ヶ谷に。保土ヶ谷って。自分の通っていた学校やコンビニを見たいのだと言う。市原悦子の旦那は定年退職で家にいてゴロゴロして洗濯も干すのも面倒くさがる男だが、上野を車に乗せて横浜へ。看護師、医者、森下愛子タイガー&ドラゴンと人格180度違うお母さんの見守る中、上野は車いすに乗り、学校の鉄柱のさびを見る。私も鉄柱のさびを見て小学校の非常階段を思い出した。それに捕まり立ち上がる。立てないはずの体、コンビニに行きチョコレートを手に取りうれしそうに眺める上野。通っていた駅に行き電車を待つ上野。そんな上野に最期の時が迫り、ベッドの上でブラジルの単身赴任のお父さんに電話を掛ける。「まだ、まだ、このままじゃ、終わりませんよ」と言って死んでしまう上野。泣いた。
このドラマには時には嘘をつかねばならない時があると言うテーマがある。患者を安心させるため、人を傷つけないため、市原は嘘をつく。
そして、後輩看護婦星野真里は新しい生命を宿している。死そして生。そして、人生はつづく。


藤井隆乙葉婚約ですか。なんか異性との経験の少ない人同士の結婚って感じですね。擦れてない感じ。インドアっぽい。好感が持てますね。割れ鍋に綴じ蓋ということわざを思い出しました。乙葉は公務員と結婚すると言っていたので経理をしていた経済観念のしっかりしている藤井隆っていう選択は正解でしょう。藤井隆は日曜の朝の番組もそつなくこなしてましたね。スポーツ全然知らないけど。でもそういう人っているし、スポーツに興味持たなくてはいけないという強制的な雰囲気は嫌いだから、今のままでいいと思う。絶対に生き残る人でしょう。乙葉はやっぱり幸せになりそうだ。お父さんが山で死んだというのが信じられないほど幸せな人生を送ってこれからも送る人のように乙葉は見える。幸福がオーラのようにその人を覆い隠している人がいるが、乙葉はそういう人のように見える。私のように幸福がまぶしくて見ていられないような人間とは違うのである。