売春窟に生まれついて

ストリーム、コラムの花道、町山智浩、先週はアカデミー候補「ホテルルワンダ」の話。この映画はいいのに虐殺を描いているので、デートムービーになり得ず、カップルの前戯と化している日本の映画館では受けないとのこと。で、公開もされないらしい。
今週もアカデミー最優秀ドキュメンタリー賞を獲りながら、公開されない「売春窟に生まれて」という映画を紹介。
前戯としての映画というのは普遍的らしく、映画が一番儲かったのは1945年〜1950年に掛けてであり、兵隊さんが戦場から帰ってきてデートで映画に行き、その後、セックスしてベビーブームが起こった。
町山氏がデートムービーが嫌いなのは映画を見始めたときに東映の映画とかマカロニウエスタンとか男しか映画館にいないような映画ばっかりだったからだという。
「売春窟に生まれて」であるが、場所はインド、カルカッタである。こういう貧しい地域では子供は労働力だと思われており、子供時代にファンタジーを育むような環境にはない。
毎日、四時に起きて洗い物をし、母親が売春をし、その間待合室でお菓子を配ったりして働く。母親が何をしているかということを理解しており、おばあちゃんも売春婦であり、セックスを間近で見聞きし、自分も客を取らされる運命である。
初潮を迎えるとすぐに客を取らされるのである。
そこに白人の映画製作者が行き、カメラを持たせて写真を撮らせる。一人の子供は抜群に写真がうまくコンクールに出品したところ、見事に入選した。で、スウェーデンの子供写真コンクールに連れていこうとしたが、親は反対する。子供の可能性よりも労働力が無くなるからだ。
さらに、子供をヨーロッパの寄宿舎に入れようとするが、AIDSの可能性が高いので拒否される。このように性の野放図な地域では子供の時から母子感染することもあるからだ。
で、AIDS検査の様子も映画は映す。最後に数人の子供を親から離し学校に入れることに成功するが、親に奪い返された子供がいるという字幕で映画は終わる。この映画の収益金はこのような子供達を救うために使われるという。きわめて実効性のある映画。で、このような泣いて癒やされるとかいう次元を遙かに越えてしまった貧しさというのは珍しい物ではなく、1000年、2000年続いてきたもので、ヨーロッパ、アメリカ、日本の子供の状況というのがある意味奇跡的なのだという。
この映画を見たある批評家は数人を救っただけで大海をスプーンで掬うようなものであり、全く意味が無いと言ったらしいが、本当に意味がないだろうか?この映画を見た人が動くのではないだろうか?それに収益金は子供を救うために使われるのであって、くだらない純愛映画を見るよりも全然役に立つのではないだろうか。
まあだいたいこういうことである。
日本でも公開すべきだ。韓流映画に押されているのかもしれないが、こういう映画を公開してヒットしなかったら民度が低い証拠としか言えないだろう。日本の観客はそこまでバカなのか。そんなこともないだろう。配給会社に嘆願しようか。


さっき、家の近くを子供が「引っ越し、引っ越し、さっさと引っ越し」って歌い笑いながら通り過ぎていった。あー流行ってるな。