家族ゲーム

「汚れた舌」の予告。横一列にカウンターに座り会食する登場人物たち。森田芳光家族ゲームのようだ。飯島直子はふんだり蹴ったり、母親に藤竜也との密会現場を見られ、なじられ、今度会ったら自殺するといわれ、仲が悪くなり、ネットに自分の店の誹謗中傷をかかれ営業不振になり、母親はこんな店つぶれてしまえばいいと言い。親友から結婚することを報告される。今日出てきた食べ物は金沢のお菓子、かぜふうせん。おいしそう。
このドラマはみる人によって感情移入する人物が変わってくるところがすごい。牧瀬里穂むかつく。いや、悪くない。母親の松原智恵子が悪い。いや、悪くない。森口瑤子が悪い。いや、悪くないとか。主人公でさえ、善悪の両方を持っているのだ。
牧瀬里穂は気狂いなのだが、自分でなぜそうなったかを説明する。意外と自分のことを客観的に見ている気狂いは多いのではないだろうか。あ、おれ、おかしいなと思いながら狂っていくというのは多々あることではないだろうか。
舞城王太郎阿修羅ガール」という小説は気狂いの男の主観で書かれた箇所があるのだが、「こんな部屋にいたらそりゃ頭も狂うよ」と冷静な分析をしている。そこがかえってリアルであった。気狂いを冷静な分析ができないと決めつけてはいけない。気狂いはハイなだけではないのだ。


笑いの金メダルではHGことレイザーラモン住谷が。「おれ、大卒、フー」って言ってた。なんかみんな異常にこの人のこと好きだよね。みうらじゅん猫ひろしを評したノーフューチャーぽいところがいいのかもしれない。でも実際は住谷は生き残って行くと思う。


誰でもピカソ岡本太郎岡本敏子特集。岡本太郎は絵を一度も売らないで生活していた。石原慎太郎もインタビューで出ていた。誰にも似ていない絵を描く芸術家とのこと。
ちなみに石原慎太郎の家にあるとげのついた鐘は8000万円する。すごい。
敏子と太郎は遊郭にもデートにも一緒に行っていたらしい。同志愛といっていた。
万博の太陽の塔は「ベラボーなものを作る」と言って作ったらしい。
前に私がかいてネットのホームページに投稿した太郎の「自分の中に毒をもて」という本を読んだ感想が出てきた。


< 名文家としての岡本 >

テレビでしか岡本太郎という人に触れたことがない人は意外だろうが、彼はとても文章がうまい。
「今日の芸術」をいう光文社文庫からでている本は芸術の入門書としておすすめ。
 中公文庫の「沖縄文化論」は散文詩に近いものです。ほとんど。三島由紀夫も絶賛したそう。沖縄の忘れ去られた文化についての記述。
 私が1番好きなのは「自分の中に毒を持て」という本、檄文です。
 フランスでシュールレアリスム運動にかかわっていた青春時代、そして日本へ帰ってからは30を越えていたのにもかかわらず、一兵卒としてびんたを受ける毎日、並んでびんたを受けるときも3番目に必ず受ける。なぜなら、3番目が1番いたいからだ。進んで自分に罰を与える方向に身を投げ出す生き方。
 自分がダメになってしまうと思うほうをいつも選ぶようにしていると言いきる。
 確かにそれはその通り実践していて、科学も進歩もこれっぽちも信じていないくせに万国博覧会のプロデューサーを勤める。笑いものになることを覚悟して周囲の反対を押し切ってテレビのバラエティ番組に出る。
 など、行動自体が芸術的だ。
 岡本太郎の文章を読んでいると元気が出るのは、岡本自身も日本の閉鎖的な芸術の風土の中で孤独に戦って来たからだと思う。
 西洋の物まねをする芸術界を否定する。また逆に、単に古いから褒める、力の衰えを枯淡の境地と称して褒める。そんな芸術界をもバッサバッサと斬っていくからすがすがしいのだ。
 欧米の価値観あるいは日本の伝統に縛られるのことの愚を説いているから痛快なんだ。 なぜなら、その二つのどちらかに依存しなければ生きられないと現代人は思い込んでいるから。
 でも、そういうものに依拠しなくてもまったくオリジナルなものとして生き抜いていくことが出来る。その見本として岡本太郎は存在する。