ミリオンダラー・ベイビー

タイガー&ドラゴン今回はオーソドックスな話の展開。最後の落ちが一番鮮やかであったのではないか。
伊東美咲ふかわりょうのほうが面白いと言われてしまう岡田准一笑った。父と子の和解の話。憎まれ役の小日向文世がしぶしぶ認めてしまうというのもドラマツルギーとしていいのではないか。軽い芝居の高田文夫もいい。日刊スポーツ読まなきゃって言ってた。笑った。
西田敏行も決して絶対的な権威ではなく弱い部分も内包しつつの父親としての演技はいいのではないだろうか。これは落語家にはできない。落語家としての説得力がないとの批評があるが、落語家でここまで胸を打つ台詞の言える人材がいるだろうか。
「泣かせるより笑わせるのが難しい」みたいなことも岡田准一は言ってたな。宮藤官九郎三谷幸喜も同じことを考えているのだろう。三谷は「人を泣かせる野菜はあるけれど人を笑わせる野菜はありません。」って言ってたな。喜劇作家としての自負が二人にはあるのだろう。
映画もドラマも泣きましたとか癒されたとかいう批評が多く、思いっきり笑ったという評価はあまり聞かない。これは泣いたというのは記憶に残りやすく、笑ったというのはすぐ忘れてしまうという人間の脳の構造にあるのかもしれない。たとえば、高田純次河合美智子の東京パラダイスというラジオをたまに聞くのだが、高田がなにか言って私は大笑いするのだが、三分後ぐらいにはもう忘れている。ゲラゲラ笑ったのって記憶に残っていないことが多い。とくに高田純次の言ったことは反射神経で言ったことに近くネタというものにさえなっていないので忘れてしまう。記録にも記憶にも残らずただ一瞬の快感を与えるという笑い。これは評価しづらいのではないか。
私は見ているときのその快感を忘れないで作品を批評していきたいと思う。後にはなにも残らないが見ているときは楽しくて仕方のない作品がある。そういったものを擁護するのが私の責任ですらあると思う。


太田光井上和香に「デブ、みにくい体」と言っていた。笑った。井上和香がセクハラされると楽しい。井上和香って簡単に落ちそうに見えて実はなかなか落ちなそうだよね。
バク天ではフライトアテンダントの講師として友近が追風吹子として登場。
レーザーラモン住谷は学園天国の節回しで「ゲーイ、ゲーイ、ゲーイ、ゲーイ」と子供達と歌っていた。これ、アメリカだったらキリスト教右派怒るぞ。


クリント・イーストウッドミリオンダラー・ベイビー」を見た。★★★★★。 大傑作。必見。100点
これは泣いたとかあまりいいたくないが泣いた。嗚咽を漏らした。うるさかったかもしれない。いい映画だ。泣いたといってもべたではなく映像を驚きを持ってむかえて泣く映画だ。だからここの泣くツボを押してくれというような普通の感動系の映画ではない。ここまでやるかとかこうくるかという私たちの見たことのない映像を見せてくれる映画だ。だから素晴らしい。だから泣く。
以下ネタばれあり。


×××ここからネタばれ×××


ヒラリー・スワンクが素晴らしい。本当に弱そうな最初の場面から強いプロボクサーまで違和感なく演じている。ずいぶん練習したのだろう。本当に殴っているように見えた。本当に殴っているのかもしれない。女ボクサーを演じている。ずっとウエイトレスをしていて、学もなく典型的なホワイトトラッシュである。ただ純粋に強くなりたいという気持ちがあり、本当に向上心のある女である。ボクシングの器具を買うために、お金を貯めていて客の残したステーキを持ち帰りナイフで客の噛み跡を切り取り食べる。最初はとても強くならないだろうパンチング。だが、みんなが帰った後もジムに残りパンチングを続ける。クリント・イーストウッドはボクシングを教えはじめる。だが、初めての試合のときに、他のマネージャーに預ける。試合を見に来ていたイーストウッドは劣勢を見てたまらなくなってマネージャーを無視してスワンクに教える。スワンク見事に勝利。試合は続く。鼻を折られたスワンク、ギブアップしろとイーストウッド。まだ戦う。治してと言ってイーストウッドは鼻を元の位置に戻す。その生々しい痛みが画面を通し伝わり、痛みを越える勝ちたいという感情の強さに、私は嗚咽を漏らして泣いた。
ファイトマネーで母親に家を買ってあげたスワンク。生活保護がうち切られると言って少しも感謝せず、ボクシングをやっていることも知らず、ボクシングをやっていると言ったら笑い物だという母親。私、号泣。
スワンクは勝ち続け、そしてチャンピオンとの試合を行うが…
尊厳死の問題がテーマになっている。一生全身麻痺の障害者になったスワンク。そんな姿になってもごめんねと言うスワンク。私、号泣。
家族は見舞いになかなか来ない。そしてディズニーランド帰りの格好で病院に来た。遺産を受け渡すサインをさせようとする家族。手が動かないので口の中にペンを入れてサインをさせようとする家族。母親は試合を見てなかった。勝てなかったじゃないかとまで言う。
スワンクはサインをしない。片足を切断しなくてはならなくなった。スワンクはイーストウッドに殺してくれと言う。イーストウッドは断るが、スワンクは舌を自分で噛みきろうとする。口から血が流れている。私号泣。
イーストウッドはスワンクを安楽死させることに決める。スワンクにキスをする。恋愛感情とかそういった簡単なものじゃない。深い気持ち、が現れたシーンだ。決行。
イーストウッドは消える。ラスト、レモンパイを食べるイーストウッド
なぜイーストウッドは自首しないか?当たり前だ。警察ではなく神に背いた罰は誰にも裁くことはできないからだ。
それにしてもヒラリー・スワンクは本当に素晴らしい女だ。こんな人格が全く報われず、家族にも愛されずに死んでいく。イーストウッドと孤独な二人が出会う。そして、悲劇的な最後が。それが人生かもしれない。こんな人生がある可能性を送る可能性がある。そして可能性を描くのは自由である。倫理的な問題は関係ない。人生の可能性を幅広く描くのが芸術というものであるからだ。
左翼からも批判は浴びたがイーストウッドは障害者とかホワイトトラッシュの人をデリケートに描いている。愛すべき知的障害者や失明したモーガン・フリーマンを出して障害者差別ではないとメッセージを送っているし、家族は福祉にたかるどうしようもない人間達だが、主人公のホワイトトラッシュは一人で生きていこうとする美しい心を持っている。
すごい映画だ。

×××ネタばれ終わり。×××