負け犬論とモテ論。

女友達からメールが来た。
酒井順子の対談集「先達の御意見」を読んだら、「私が男だったら、女をすごく幸せにしてやれると思う」と言っていた。私も言ったことがあるはず。これは男は楽しませるということがわかってないと思う気持ちが変換された発言。負け犬の資格がしっかりあるようです。


私のメール
私も女だったらもててたってブログに書いたなあ。あなたの方法論って観覧車に乗せるとかだっけ。日本の男は駄目だ論はよく聞くなあ。女を喜ばせる男になるように教育するとかいろいろ手段はあるのでは。


女友達
山内さんがもし女としても、どうやってもててるのかわからないなあ。媚び女か、肝っ玉女、どちらでもてる気?もしかして顔でもてるの?男に不満がある女は、えてして「自分が彼ならこうする」と想定するんだろう(これが負け犬系思考)。でも、これは男になってもてたいわけではない。いかに多くに好かれるかではなく、付き合っていていかに楽しむかを気にしてるのです。今、私が男なら、もう観覧車乗りに連れていかないよ。あれはあの時代の発言。はやった店がつぶれるように、世の中は変わるのです。いいか悪いかは別として、男はその変化に鈍感な傾向があるのでしょう。そこらへんの行動ですきか嫌いかが変わることもあるのです。雑誌の受け売りも気持ち悪いし、かといってファミレスしかいけない男もどうか、と。そんなこと気にしなくなったときが、愛してるときなのかもしれません。負け犬は気にしてばかりなのです。無理に結婚するより、あえて気にしたいのかもしれない。



私が女だったらGoro’s Bar川田亜子を見習う。ボディタッチですね。あと髪は黒くして櫻井よしこさんのような話し方を心がける。どっちかというと媚び系かな。肝っ玉系というのはもてるのかな。天海祐希ぐらいきれいじゃないと肝っ玉系はもてないんじゃない?
以下略。


女友達
山内さんは自己分析がいつも足りない気がするよ。川田亜子はなりたい自分であり、なれる自分ではないのでは。憧れと現実は違うはず。



川田の顔とかではなく技化されたボディタッチ術を学びたいだけですよ。


女友達
だから、山内さんはそれにはなれないって。あれは天性。それに対する憧れだから、山内さんが女になってももてないよ。学ぶにも限界がある。


そうかなあ。齋藤孝の本に人の話を聞くときには「目を見る」「微笑む」「頷く」「相槌を打つ」という上機嫌の型を身につけることが大事だと書いてあった。
齋籐の授業では四人一組でディスカッションをしその間中、この上機嫌の型にあたる四つの動作を積極的に行うように指示する。
そのなかでグループの中でもっとも上機嫌に話を聞いてくれた人を、四人で一斉に指さす。
グループを組み替えて何度もやってもらううちに、もっとも上機嫌な人が自然と選び出されてくる。他の人たちはその人たちを見習って、技を訓練していくのだ、そうだ。
なるほど、川田亜子はこの四つの型の他にボディタッチという型を身につけているね。
Goro’s Bar川田亜子はにこにこしながら目をのぞき込んできて稲垣吾郎の話をうんうんいいながら頷いて聞いているように見えるね。実際たいして聞いてないのかもしれないけど
見ているとなんかどきどきする。男も女もモテるにはこれが必要なのではないだろうか。訓練でもある程度身につけられるものなのではないだろうか?男は気持ち悪がられるからボディタッチはしないほうがいいと思うが。


明治製菓、ぷぷるんのCMで相沢紗世の魅力を再発見。
http://open.meiji.co.jp/sweets/candy_gum/pupurun/
無表情でマラカスを振る。アンドロイドのような完璧な顔してるなこの人。昔私は無個性美人が好きだと言っていたのだがこの人は完全なる無個性美人。
心の無さをこのCMは表現したかったのだろう。お人形のような魂の無さがよかった。
佐田真由美とか香椎由宇とか相沢紗世とかみさきゆうとか。似てるでしょう。この人たち。だいたいみなさん私の好み分かってきたよね?
今日さんま御殿にマナカナが出てきたのだがてじなーにゃ山上兄弟を見たときと同じくらい嫌な気持ちになってしまった。なんかあざとい。もうこの二人が同じリアクションを返すっていうの飽きた。えなりかずきの弟みたいな顔してるし見たくなあ。そういう感想って大人げない?
みんながマナカナを好きになればいいのに。マナカナがもてもてになればいいのに。
みんなまなかなのほうに行ってほしい。
佐田とか香椎とか相沢とかみさきは私だけが好きでいればいいのに。