がんばっていきまっしょい

汚れた舌、ナイターのため録画失敗。ショック。
ちょっと見たらみんな仲良くなってるしどうしちゃったの。最初の30分だけでもいいから見ようかな。
あーあせっかくここまで見てきたのに。


がんばっていきまっしょいがドラマ化されるらしい。他にも来クールは映画のリメークがあります。来クールはドラマは見ません。好きな脚本家が書いてないから。一色伸幸のドラマは気になるから見るかもしれませんが。
あとがんばっていきまっしょいをドラマ化するのはやめてほしいな。
あの映画は好きなので。
あの映画はまずなぜボートを田中麗奈がやるのか理由がよくわかりませんね。ただ、ボートをやっているところを見つめているシーンがある。なんとなく憧れているのだろうのというのが分かる。まあそんなもんです。部活を決める理由なんて。そこがリアルです。
それから、最初に古い新聞記事が写されます。そこに田中麗奈たちが写っています。今となってはもう過去の話です。彼女達の活躍は完全に忘れ去られてしまいました。
そこがいいんだよ。
彼女達の行為には何の意味もない。そこがいい。頑張って怪我しながらも田中麗奈はボートを漕ぎます。で、何が残る?何にも。真野きりなは最後はひどい顔してボートを漕ぎます。
で、なんになる?何にも。
彼女達はなんのために一生懸命ボートを漕ぐのか理由がわからないのだ。
田中麗奈の家族も忙しくて大会の応援にも来ません。
誰にも褒められない。だけどボートを漕ぐ。
勝ってもハリウッド映画のようにみんなで喜ぶシーンはありません。
人間というのはときとして自分にとってなんのプラスにもならないことに一生懸命になることが出来る生き物です。
そこが人間の一番美しいところだと思う。無償の行為です。
ドラマ化すると多分そこのなぜボートをやるのかという理由付けがされてしまうと思う。そしてスポ根のようになってしまうと思う。そして彼女たちには栄光が与えられてしまうのだと思う。
だめだ。だめだ。この映画はそこの所を徹底的に省いたことで、かえって人間の持っている美しい本性が現れた。そこが素晴らしいのだ。
がんばっていきまっしょいのドラマ化を考えた人はウォーターボーイズの成功を思い描いているのだと思う。
集団競技のドラマ化ということで同じだと思ったのかもしれないが、がんばっていきまっしょいは通常のドラマツルギーというものを逸脱したところに面白さがある。視聴者にうけるものを作ろうとしたら映画とは全くの別物になってしまうだろう。