旨いものはうまい

吉田健一のハルキ文庫に入っている旨いものはうまいを読んでいる。
文章がうまくて書いてあるのが食べ物の話だから軽快に読み飛ばせる。面白い。
まあ内容は東海林さだおなんだけどさ。
きれいなものとうまいものについて書いてあるのだが、結局はうまけりゃいいじゃんという結論になっている。
いかの塩辛とか見た目はどう見てもきれいじゃないものもうまいのであって、伊勢エビを蒸した奴にマヨネーズを載っけて花の形にオリーブを切ってそこに添えてあるやつとかきれいだけど旨そうじゃないみたいなことが書いてある。
たしかにまずそうだ。私はマヨネーズが嫌いだし。
ワインは白は魚で赤は肉みたいなのも成金が決めたことだと書いてある。
聞いたことあるな。
イギリス人というのは実は美食家だと書いてあって、本当かしらと思うのだが、やはり牛も掛け合わせて良い牛を作ったり、パンもうまいパンを作ったりと素材の上ではかなりのレベルにあるようだ。
ただ、いい肉が手にはいるためにいい刺身をしょう油とわさびだけで食べるのと同じように塩こしょうで食べたりパンはバターを塗って食べたりといったオーソドックスなやり方でしか料理をしないみたいだ。
フランス料理というのはいい肉とか材料がないために蝸牛を使った料理とか苦肉の策で加工の技術を磨いていったためにうまれていったと書いてある。フランスは侵略とかあったために牛の品質を向上させることが出来なかったと書いてあるな。なるほどね。
イギリスも朝食はうまいというのは衆目の一致したところでイギリスでうまいものが食べたかったら朝食を三回食えと言葉もあるくらいだ。
梅干しと白米以外の食事が贅沢だという考え方は配給制度の頃から生まれた考え方のようだ。日本人は昔はいろんな素材を使って飯を食べていてそれが贅沢だと考えていなかったようだ。今は例えば松茸も贅沢だということになっているが、昔は裏山に登って取ってくれば食べられたものであるし贅沢という考え方はなかったのかもしれない。
それから日本酒というものも米だけで作ってきたものを戦後アルコールをぶちこんで作るようになってまずくなったらしい。たしかにまずい。いい日本酒は上等のシェリー酒と同じように辛口でうまいと書いてある。ただ、変化しやすいので輸出できずに外国の人は本当の日本酒の良さが分からないのだろう。まあ、ワインも同じであるが。
まあ、飯は飯であってそれ以上でもそれ以下でもなく、酒は酒であってそれ以上でもそれ以下でもないという吉田健一の意見はその通りであるし飯のことを書くと美食家だなんだと奉り上げられてしまうのはまったく困ったことであると書いてある。
私もそう思う。旨けりゃいいのなんだって。
それにしても吉田健一の文章は自分が書いたかのように楽に読める。
もしかしたら私は吉田健一の生まれ変わりなのかもしれない。と思ったら私が生まれた後、彼は亡くなっている。
もう少しでカート・コバーンの生まれ変わりだと言い張るお塩大先生のようになるところだった。