君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなるー。って中島みゆきの歌にもありましたね。
草野キッドを見たのですが、この番組は堂真理子を見る番組でもあるのは間違いないと思います。
ミュージックステーションでは進行のためにまたタモリのつまらないしゃべりに付き合わされるために堂真理子の笑顔は痛々しさを含んでいます。
だが、草野キッドの堂は本心から笑っているのでいいのです。
で、堂の笑い声に私は虚心坦懐に耳を傾けたのですがまったく特徴がありません。
だいたいが美人の笑い声というものは記憶に残らないものであって、笑い声が特徴のある人はかなり変わった人になると思います。
例えば、松田聖子の馬鹿笑い。きゃははーという清水ミチコもよく真似する笑い声は、やはり本人の流転変転人生を物語るものだといえます。
それから島崎和歌子の笑い声というのも、笑い声だけでここまで自分をおとしめることが出来るなあという所まで本人のキャラクターを規定しています。
簡単に言うと島崎の顔は悪くないししゃべりも予想よりもひどいことは言ってない。それがどうして下品キャラクターとして定着してしまうかというとあのがははな笑い声が元凶だと思います。
笑い声というのはそのキャラクターに自分がなりたいとか自分はそういうキャラクターなのだと思いこんだ結果が出るものだと思います。
例えば加藤あいという人がいますが、女子校生だった頃の加藤あいはぎゃははーと笑っていました。そして寒い行動に出たりもしました。ネプチューンと一緒に食わず嫌いに出て「はーらだーたいぞうです」とやって周りをどん引きさせたりもしてました。
なぜそんなことをしていたかと言うと加藤あいはあのクールビューティー故に黙っているとお高く止まっていると思われていじめられたそうです。
だから、無理矢理ひょうきんキャラを演じていたのでした。さすがにあの美貌ですからひょうきんキャラは必要なくて逆に黙っているほうが様になると自分でも気づきはじめひょうきんキャラを出さなくなると同時にあの笑い方も影を潜めました。
最近はインテリキャラクターを出そうともしていますが、そんなのも必要ないでしょう。黙っている方が賢明というものです。ああいう完璧な顔というのはそんなにないのですから奇を衒わずに行けばなんなく生き残っていけるでしょう。
で、堂なのですが、私はああいう人を笑わせたいですね。ああいう特徴のない笑い方をする美人を。あまりゲラゲラ笑う人を笑わせたところでそれほどの満足感はありません。
やはり美人を笑わせることです。男にとって女を笑わせることそれ以上の快楽はあるでしょうか。あまり無いんじゃないかと思います。
私は最近まで女の人にかっこいい人と言われるより面白い人と言われるほうがうれしかった男です。最近では考え方が通俗に堕してしまって、そう考えなくなりましたが前はそうでした。
とにかくよく相槌を打ち、私のジョークに笑ってくれる人、そういう人は無条件にいい人です。女子アナというのがなぜ人気があるかというとなんとなく相槌くらいは打ってくれるくらいの知性と愛嬌があるからだと思います。
で、堂という人は無邪気に笑ってくれる気がするのです。なんだかお笑いずれしてあれはどうのこうの例えばオリエンタルラジオは邪道だとかアンガールズはみんなが評価するほど私は評価しないけどねとかそういうことを言わなそうな気がします。
やりすぎコージーにおける大橋未歩アナのような貫禄あるスルーまたはそんなこと分かってますよ笑いではなく、堂は浅草キッドの下ネタにも笑います。下ネタということで眉をひそめるのではなくまたそれくらい分かってますよ的にすれっからしぶるわけでもなく、ただ意味もなく笑っている堂は素晴らしい人格だと思います。
私は女性は下ネタにはこう対処しないといけないと思います。
だが、これは難しいところで下ネタに興味津々でも駄目だし引いても駄目だという男の勝手な論理の表れだと自分でも思います。
だけどそういう人が私は好きなのです。めんどくさいのです。私も。