女王の教室第八回

女王の教室じゃが。ってもう広島弁はいいか。広島弁って使ってるとずっと使いたくなるところがあるね。
やはり最後は大人対子供の図式になってきた。全面戦争か?予告編では違う内容になっていたが、このドラマは予告編でミスリードして全く違う展開に持っていったりするので注意が必要である。
天海祐希がエンディングではいい人に戻って踊るのであるが、これもまたミスリードするために仕掛けられた罠のような気がしてきた。
この前の予告編では今回阿久津真矢がいつもの格好と違う格好で登場するのでいい人になるのではと予想されていた。今回は結局神田和美の夢というオチで終わってしまった。
ダマされた。結局最後まで悪い人のままかもしれない。
それにしてもこのドラマの羽田美智子という人はなんか大人の弱さとか情けなさというものを代表しているのかな。
羽田美智子はよく皿を割るのだが、これは子供の神田和美と同じどじな性格を表している。
そして、同じような人格を持った両者であるが、和美が子供の持つ純粋な素晴らしい役割を果たしているのに対して羽田美智子は周りの状況にすぐ流され夫にも浮気され真矢にも簡単に言いくるめられてしまうという大人の弱さの象徴として登場している。
神田和美と阿久津真矢は完全に対立していて子供の論理対大人の論理。弱者の論理対強者の論理というふうに完全に分裂している。
しかし、羽田美智子は子供である和美と完全に対立することも出来ずかと言って和美の味方をするわけにもいかずほんとうにどっちつかずの人なのである。
で、羽田という人は幼児性を引きずったまま大人になってしまった人であることを皿を割ったりソファにつまずいたりすることによって描写しているわけだ。
まあ、大多数の今の大人の代表ですね。


それにしても私はやっぱり日本人なので人をすぐにいい人か悪い人かっていうふうに二分法で決めつけたがるのであるが、英語を勉強してて思うのだけれど少なくとも英語を話す人はもっと細かく人格をカテゴライズしている気がする。
英語には性格の特徴を表す表現がたくさんあるのだ。
それを日本語に訳した文章を見ると日本語ではやはり廃れたり日常会話で使わないような表現ばかりだ。日本人はあの人はいい人とかそういう風に言って済ましてしまうからのような気がする。まあ、気がするだけなのでちょっと調べて明日また書きます。


リチャードホールではパンダPが出ていた。
このコントのキャラクターはどんなコントでも動物を出そうとするというプロデューサーをアンタッチャブルの柴田が演じている。
でも本当にこういう人いるから。
奥山和由がそうです。笠原和夫226の脚本書いたときに、ここに犬を出してくれませんか?と言われたらしい。なんの必然性もないところに。ハチ公物語がヒットしたからそれでということなんだろうと言っていた。
二・二六事件と犬って全然関係ないのに。


ああ、やりすぎコージーのこと書いてほしいですか?
AV女優が集まってトークしてました。
穂花は「どうしてほしいか言ってごらん」という表現を使うそうです。
千原ジュニアがAV女優とシチュエーションコントみたいなのをやって、全く笑いを忘れて責められて素に戻ってアドリブが全く効かず主導権を握られてMっぷりを発揮してのが面白かったです。