1985年

今日はせっかく読んだ本の備忘録みたいなものです。
長いです。しかも面白くもないと思います。

「1985年」吉崎達彦著 新潮新書 ★★★☆☆
懐かしいなあ。つくば万博。阪神優勝もこの年かあ。日航機墜落も。プラザ合意があって、ゴルバチョフが登場し、スーパーマリオも出たばっかりだったのか。
ということで。
1985年という本は歴史書としては異例の1985年という年で輪切りにして時代を描くという本です。
まず、プラザ合意というのがバブルの原因とされているという説にミクロも含めた複合的な要因でバブルがきたのではという論旨を展開します。

第二章では、1985年は日本はまだ少子高齢化社会ではなく、ここ20年で一気に進んでしまったということをデータを使って説明します。
20年前からそうなのですが、実は今でも大部分の人が自分は中流と思っているそうです。これは底辺の人たちの生活は変わっておらず、お金持ちはもっとお金持ちになっているということをあらわしているようです。全体的にはお金持ちになっているらしいのですが、そのお金が不平等に分配されているようです。
驚くべきことに20年の間に個人の金融資産が3倍になっています。ほとんどが定期預金と保険に向けられています。
それなのに金利は驚くほど低くなっている。郵便定額貯金の金利も5%以上あったのが今は1%以下ですからね。低い金利の銀行にせっせと貯金してお金を使わないのですから景気が良くなるわけがありませんね。

第三章ではゴルバチョフの登場と冷戦への歩みですね。
この年はボン・サミットはキャラクターの強い人たちが出ていますね。ドイツは見事に歴史問題を精算しました。
いまだに靖国で大騒ぎしている日本とはえらい違いです。

第四章
つくば博ですね。
つくば博によって全共闘ジュニア世代、ホリエモン藤原紀香世代が科学に目覚めたそうです。この世代にとっての万博といえばつくば博です。私もその一人ですね。
愛・地球博で話題になった受付ロボットはつくば博のときにはあったみたいです。方言が分からなかったらしいですね。
企業のロボットの実験場としてその後、
多くの企業がそこで培った技術を工場などで生かしていきました。
そして、ファミコンがブレイクした年、スーパーマリオの登場です。ここでコマンド入力の概念を覚えた子供達がパソコンを抵抗なく使うことになるとありますね。
パソコン通信が登場した年でもあります。
ロボットとかパソコンとかのあけぼのの年ですね。

第五章
西武百貨店のコピー「おいしい生活」に代表されるように消費社会の始まりです。必要なものから消費することそのものの喜びへと。
美味しんぼ」の1巻の単行本が出たのもこの頃です。
美味しんぼが出るまでは「人は生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではない」という考え方が一般的だったそうです。しかし、今ではおいしいものを食べるために生きるのもライフスタイルの一つのあり方として当たり前になってしまいました。
どうも日本人は豊かになってくると「食」にお金を使うみたいです。イギリスはガーデニング、ドイツは家具、イタリア人はファッションに使うのが紋切り型の分類だそうです。
なるほど、チョイモテオヤジがイタリア人を目指すのもそういうわけですね。
とはいえ、私が思うに日本人の消費行動は更に分かれていて「食」へのこだわりがないひともガーデニングとか家具とかファッションにお金を使ったりしていますね。今はこだわりがいろんな方向へと行っている気がします。

第六章は、ドリフからひょうきん族への流れですね。
ドリフが終わった年。
作り込んだ笑いから即興性の笑いへと。
大人の笑いに変わったとありますね。
ひょうきん族、たけちゃんマンの歌には
今日は吉原堀之内 中州すすきのニューヨーク
という歌詞が登場します。
有名な風俗街が織り込まれてますね。ニューヨークは入浴と掛けてあります。
子供には分からない。
この頃、週休二日制が固定しつつあったらしいです。
それまではお父さんの仕事は土曜は半日で終わって同僚と麻雀屋に行って遊んでたらしいです。麻雀屋の件数もこの頃から減っていったらしいです。
で、休みが増えた分、家でテレビを見てゴロゴロするというお父さんが多くなってきました。
子供は塾や習い事などでテレビを見られなくなってしまいました。テレビが大人向けになってしまったのです。
そして、そのひょうきん族的なバラエティ番組はまだ続いているのでした。
まあ、今年あたりからドリフ的な笑い、マンネリで作り込んでいる笑いも見直されて来るでしょうね。
全員集合のDVDも売れているらしいし、このまえTBSの何十周記念でドリフをちょっとやったらいろいろなブログにやっぱりドリフは面白いという書き込みがいっぱいありました。
金曜日の妻たちへもこの年ですね。
「ダイヤル回して手をとめたー」という歌詞知ってますか?
あるいは覚えてますか?
小林明子の「恋におちて」ですね。
専業主婦が不満を持っていてそれが不倫につながるという極めて今日ではありふれた行為がはじめてドラマによって表面化した年です。逆に言うとそれまでは専業主婦が不満なんて持つわけがないと考えられていたのでした。
だが、まだ携帯でもプッシュフォンでもなくこの時代はダイヤル回線です。家の電話だと他の人にも取られる可能性がありますね。だから、そこの所の逡巡が手を止めたになるわけです。
それに、不倫は今と比べるとはるかに罪深い行為でした。
今はあっけらかんと不倫してますって言う女子大生とかがさんまの番組に出たりしてますね。
このドラマの性表現もいまのドラマに比べると遙かにおとなしかったようです。

最後の章では、日航機墜落事件、三光汽船倒産、阪神優勝を駆け足で振り返っています。

この本を大変楽しくノスタルジーに満ちた気持ちで読んだんですが、ちょっと経済に比べると社会とかの掘り下げが少ない気がしました。あと、全体的にボリュームが少ない。もっと読んでいたかったですね。ということで三つ星。
新潮新書は分量が少ないですね。
ちなみにつくば博の章で出てくるブレードランナーハリソン・フォードが立ち食いをしているのは鮨屋じゃなくてうどん屋だと思う。なんでそんなミス記述をするのか気になった。

あと、私はホリエモンとか杉村太蔵とか全共闘ジュニアと言われる人たちがひょうきん族的な笑いのせいでああいう風になったと考えています。
つまり面白ければなんでもいいという面白主義ですね。
「楽しくなければテレビじゃない」というフジテレビのキャッチコピーが象徴するような。
それが、ウケを狙おうとか記者から失笑されて、それでもおいしいかもと思っているように見える杉村太蔵みたいなのを生んだのだと思います。
そして、その面白主義の世代が政治的に正しいかはともかく確かに面白い小泉政権を強烈に支持し自民党が大勝してしまいました。
そういう分析がなかったのが残念です。
ひょうきん族を元とするバラエティ番組から始まる日本人の精神構造の変化みたいなのを誰か書く人いないのかしら。