おとなの小論文教室

おとなの小論文教室。

おとなの小論文教室。

という山田ズーニーという人の本を読んだ。
図書館に返してしまったので細かいところはうろ覚えである。
それに書いてあったのは、著者はいろんな人からメールを
もらうが、相手が変に思われたら嫌だという気持ちが
最近の若い人に強すぎるということ。
携帯メールを1回送ったら、もう1回続けて送ったらストーカーだと思われたらどうしようとか。
相手のことが好きなら、そこでもう一押ししてもいいのではないか。そうしないと誰とも仲良くなれない。
という話だ。
ミクシィで自分のほうはコメントをつけているのに、相手が
読み逃げしてコメントをつけてくれない。
という悩みが話題になっている。
http://okwave.jp/qa2835346.html
いや、読んでくれるだけでいいと思うのだが、マイミクでも
読みにも来てくれない人もいるし。
これも携帯メールが普及して、こっちがメールをしたら、
あっちもメールをくれないと嫌だという気持ちから来ているのだろう。
おとなの小論文教室では、読者からのメールを紹介していた。完全に教室で存在を消してしまうという学生について書いてあった。
何か先生が聞いてもうんともすんとも言わない。
その存在感の希薄さは小論文の添削を続けてきた著者も
感じていて、主語が消えてしまうという文章にあらわれているという。
そこで自分はどう考えるの?という文章の重要ポイントが消えているのだという。
主語と述語がはっきりしない文章は読みにくい。

話を戻すと、傷つきたくない変な人だと思われたくない
という気持ちが強くなっている。
というのは確かだと思う。
というのも今ネットで起きている論争もそこに問題があるのではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070316/p1

風俗嬢について差別意識を持ってはいけない。
これは大前提としてある。
しかし、差別意識は自分の中にありそれを意識すべきであるという意見。
それとも差別意識は絶対に持ってはいけないのだし
自分も持っていないという意見。
の対立である。
どちらも風俗嬢差別はいけないと思っているのだから、
それほど意見の違いはないと思う。
そんな風俗嬢に関しては非常にデリケートな態度を取っているのにもかかわらず、この二人がブログで思いっきり罵っているという不条理。
まず、身近のブロガー同士が仲良くやればいいのに。
ということで、メールを多く送りすぎるだろうかとか
ミクシィでコメントをもらったら自分もコメントを絶対にしなくてはいけないとか。
差別を感じる自分自身にどう処するべきかとか。

そういう細かい問題に右往左往して、悩んだあげくなんだかキレて暴走してしまうという現代の人間像が浮かび上がってくると思う。
くだらないことに悩むよりもとにかくメールがしたかったらしてもいいしコメントをいっぱいしたかったらすればいいし。
風俗嬢に差別意識を感じることがあっても風俗嬢に分からないように相手を尊重すればいいし。
とにかくくだらないことで悩まないでほしい。
くだらないことで悩んだらとにかく自分にとっていいと思う方に一歩踏み出してみたらいいのではないだろうか