しゃべれどもしゃべれども

しゃべれどもしゃべれども
シネコンで鑑賞。
レイトショー、客は15、6人くらいか。
見終わった後、さわやかなすがすがしい気持ちになれる映画であった。
今昔亭三つ葉国分太一)という二つ目の落語家の元に普通にしていると怒っていると言われる十河(香里奈)と阪神タイガースを愛する関西から来た転校生の少年村林(森永悠希)と元野球選手の湯河原(松重豊)が落語を習いにきて…という話。
しゃべれどもしゃべれどもという題が示すようにこれは
コミュニケーション能力についての映画である。
三つ葉は落語という話をする職業に就いているにも関わらず
自分の感情を人に伝えることが苦手であるし客にもそれが伝わるのかあまりウケない。
十河はちょっと自閉症気味でぶっきらぼうに言葉を出すことしかできない。これでは仕事ができないのではないだろうかと思ったら実家のクリーニング屋を手伝っているという設定になっていた。やっぱり「がんばっていきまっしょい」以来の伝統としてクリーニング屋さんの両親は娘にたいして無関心でなくてはいけない。
これはリアリティがある。
元野球選手の湯河原は解説の仕事が来てもしゃべりが下手で
クビになってしまう。
転校少年は関西弁が元で学校でなじめないしということで
なんだかみんなコミュニケーションに悩んでいる。
この映画はみんなで一つの方向にがんばっていこうという感じにすんなりならなくて、おのおのが別の道を一人歩んでいるように見える。
それは三つ葉の落語の稽古のシーンを見ることで分かるだろう。
路面電車の中、水上バスのデッキで国分はひたすら落語を口づさんで練習をしている。
映画のシーンはすべて浅草周辺で撮られていて、その狭い中を
国分が行ったりきたりしている。
なんだかこれは日本の今のありようをあらわしているような。
狭い日本の中で人々は行ったり来たりしながら、対話はせずにモノローグをつぶやき移動ばかりしているという。
そんな一方通行の稽古ばかりしていても落語は上手くなることはできない。
三人の落語の生徒との交流を通じて上手くなる。
その交流の仕方も不器用で素直に気持ちを伝えることができない。
しかし、そんな不器用な交流の中で国分の落語は上手くなる。
それが如実に分かる。
国分がちゃんと上手に落語をやるのだ。
香里奈も落語をやる。
これはいい。香里奈が落語をというギャップがいい。
転校少年の森永悠希君というのは初めて見たけれど、演技が上手いのでびっくりした。
最近の子役は演技が上手すぎて驚く。この男の子もたくさん映画やドラマに出るようになるだろう。というかもう出ているらしい。
この子も落語をやる。上手い。
俳優が落語に挑戦するのはお金はかかっていないけれど、
なんだか面白い。感動する。
落語を習うだけで、ハリウッド映画のように大成功で人生全部ハッピーとはいかないけれど、でも前よりも自分に自信を持てた。すこし自分が変わった気がする。
この映画にはそんな日本人的な謙虚さがある。そこがいいところだ。
素直に自分を気持ちを表現することはできないけれど、しゃべれどもしゃべれどもなんだか心がすれ違ってしまうけれど、
でもそんな不器用な人はいてもいいし愛すべき存在なのだということが分かった。
国分太一は例のプリッツのCMのような顔芸も披露するし、
彼の演技のおかげで本当は何を考えているのか分からない主人公になった。複雑な陰影が役に生まれたと思う。
香里奈の美しくツンとした顔と本当にたまに見せる笑顔の落差に分かっていてもやられた。
とても俳優がいい味を出している映画だと思った。