介護力

朝日新聞を読んでいたら、介護業界の人手不足が深刻との記事が出ていた。
低賃金、ボーナスゼロ、法律改正のたびに悪くなる待遇。
福祉大学を出た学生も介護士にはならずに期間工になったりしているようだ。年収200万しかならないのだから仕方がない。
介護士の報酬アップしない限り、人材の流出があいつぐだろうとのこと。
産経新聞ではこの前、工藤美代子さんが父親の介護の経験について語っていた。
自分が全部父親の面倒を看ようとして倒れてしまったという。
かといって全部を介護サービスでまかなうというのはどんな家であっても経済的に不可能だという。
介護の仕事は賃金が安いために何かしらの誇りがないと
やっていけないだろうとのこと。
私もそう思う。
報酬アップも少しは意味があると思うが、限界があるだろう。
介護の仕事は相対的に安くならざる得ない。
西洋社会ではホスピスの仕事はキリスト教系の病院が行っている。
キリスト教の考えがあるためにある程度仕事に誇りもあり、介護する側も心が満たされるということがあるのだろう。
ところが、日本には宗教がないために賃金だけにやりがいの
基準を求めようとする。それでは限界がある。
私はそこで宗教のない日本に「介護力」というものを提言したい。
これは「そうじ力」のようなもので、「そうじ力」がそうじするほど幸せになる、捨てるほど幸せがくるという考えだったとすると、介護力は介護するほど幸せになれるという考えである。
本当か嘘かは分からない。しかし、大義はあれば、自己犠牲というのは究極の喜びであることに違いはない。
ということで、自己犠牲を正当化し他人に奉仕することに理由を見つけさせるために、私は「介護力」を提案する。
美輪さん江原さんあたりがこの介護力を支持してくれればかなりイケるのではないだろうか。
美輪さんも江原さんも日本ためになると考えれば率先して
薦めてくれるに違いない。
介護される側の数も膨大に膨れ上がっていくのであるから、お金で解決しようとするのは無理である。介護にたいする社会的な認知と自分の仕事への誇りが大事である。
そこで、「介護力」である。
「介護力」という新しい宗教チックなものを無理やりでっち上げていく。それ以外に介護業界引いては高齢化社会を救う道はないだろう。