舞妓Haaaan !!!

鬼塚公彦(阿部サダヲ)は平凡なサラリーマン。
ただ1つ異なるのは……彼が熱狂的な舞妓ファンだということ。なけなしの給料で京都に通い、舞妓の写真を撮ったり、応援のホームページまで作成している。しかし“お茶屋”の暖簾をくぐったことは……まだない。そんな公彦に転機が訪れる。念願の京都支社への転勤が決まったのだ。あっさりと同僚の彼女・大沢富士子(柴咲コウ)を捨てて、意気揚々と京都入り。死にものぐるいで仕事をし、「一見さんお断り」の壁を強引に乗り越え、やっとの思いでお茶屋デビューを果たすのだが…という話。

この映画は俳優の演技が楽しく脇役も豪華である。
ディテールにも凝っていてお金が掛かっているなと思う。
さすが東宝という感じだ。
観ている間、劇場からも笑いが聞こえてきて、私も楽しかった。
植木等が友情出演をしているのは東宝の「日本一の無責任男」をはじめとするクレージーキャッツの映画の系統を汲んでいる
からかもしれない。
しかし、「日本一の〜」とは違うのはこの映画はリアリティがなさすぎる。
確かに主人公が急に歌いだすとかそういう仕掛けは似ている。
主人公が歌いだす映画なのだなという了解があった上で歌うのはいいだろう。
タモリのようにいきなり人が歌いだすのはおかしいという
考えを私は持っていない。
タモリの考え方を突き詰めていくと時代劇というジャンルがなりたたなくなる。現代人が昔の格好をするというだけで滑稽だからだ。
で、この映画はミュージカルのようなシーンはシーンでそれでいいと思う。別に違和感はない。
しかし、阿部サダヲがいろんなことに挑戦して簡単にこなしてしまうそこのところがなんだか違う感じだ。まるでギャグマンガである。他の場面とフィクションの段階が違う気がした。
それはそれとしてキャスティング的には阿部サダヲの主人公も笑わせてくれたし堤真一のライバルもかっこ悪さとかっこよさ
が同居していて非常に演技が上手く面白かった。
柴崎コウもいい。
柴崎コウという人は人を殺しそうな憎しみの表情を浮かべるところがMっけを刺激していいのだと思う。
今回はその強い視線と同時に切なそうな表情も絶えず浮かべていてそれはそれでいいな、大事なのはギャップであるなと思った。
伊東四郎の飄々とした社長っぷりもいいし吉行和子の日本の
お母さんはこうでなくてはいけないというおかみっぷりも素晴らしい。
そんな風にキャスティングもベストであり、あらん限りにちりばめられた小ネタでも笑ったし楽しい映画であった。しかし、ちょっともったいない気がした。
せっかく舞妓に踊りを踊らせたならもっと感動的な
ラストになったのではないか?もっと厳粛な演出をするべきではなかったか。
笑いを削る必要はないが、あまりにも現実味がないシーンをカットして京都という街の魅力と主人公と二人の舞妓の三角関係というテーマをはっきりさせたほうがシンプルでよかったのではないか。
主人公が京都に来ることで時空が捻じ曲がりパラレルワールドに入り込んだために幻想的な世界へと迷いこんだと私は無理やり解釈した。
それには現実の東京と京都のシーンの間になにかを挟んで
リアルではないということを示さなくてはいけなかったのでは
ないだろうか。
とはいえお座敷遊びという私には及びもつかない世界を
メンズデーの1000円で追体験することができて、非常に
愉快な気持ちである。
この映画はお茶屋について懇切丁寧に説明してくれる。
そこはよかったと思う。