ぼくらが石井裕之と苫米地英人が好きな理由

 この前、友達に苫米地英人の「洗脳力」という本が面白いから読んだほうがいいよと薦めたら、もう同僚に借りたとのことでした。
 なんだか20代後半30代の男女問わず石井裕之とか苫米地英人の本を読んでいる人が多いらしい。
 石井裕之というのは心理学をビジネスや恋愛に応用しようという本を書いています。
 私が読んだ限りでは「ダメな自分を変える本」というのが
一番よかったです。
 苫米地英人という人はオウムの洗脳を解いた人ですね。オウムの信者と結婚してしまった。洗脳を解いてまた洗脳しなおしただけじゃないかと当時、悪口を言われました。でも結婚したのは洗脳を解いたのは別の姉妹だそうなのでその批判は当たりません。肩書きは脳機能学者だそうです。
 で、なぜ私たちの世代はこの二人の本に惹かれるのか。
 不景気にどっぷりつかってしまった世代なので、厳しい世の中を渡っていくには自分を何とかして変えていかねばならないという強迫観念に駆られているのでしょう。
 で、宗教にはまるにはオウムの記憶が鮮明で素直にすがれないというところがある。
 それに比べると、石井裕之の心理学や苫米地英人の脳機能学は科学的に見える。
 心理学でもフロイトユングの本を読んで勉強するという気にはなれない。手っ取り早く応用したいのです。
 脳科学茂木健一郎の本も読んでいるのでしょうが、茂木先生の本は文学的だしすぐに役に立つというわけではない。養老孟司も同じである。
 ということで、石井裕之苫米地英人の本にハマるのでしょう。
 養老猛司も茂木健一郎も結論としては平凡な結論に達することが多いのだけれど、石井裕之苫米地英人は最新の心理学、脳機能学ではこうなっているのです、みたいにして、結論をすっとばしてこうトレーニングしろと教えてくれる。
 心理学も脳機能学もある種ブラックボックスの中にあるようなもので、本当のところはよく分からないけれど、あの人が言っているのだからとにかく信じようとなる。
 これはスピリチュアリズムが心理学や脳機能学のように学問として認められていないだけであって、構造としては同じだと思うのだがどうだろう。
 美輪明宏の読者も石井裕之の読者も苫米地英人の読者も
みんな同じメンタリティの持ち主だと私は思うのだ。
 半信半疑であるが、かと言ってスピリチュアリズムや心理学や脳機能学などを海外の文献をあさって読もうとは思わない。
 面倒くさいから。
 そんな私のような読者がこの人たちを支えているのだろう。