天然コケッコー

天然コケッコー」評
リンダリンダリンダ』の監督と『ジョゼと虎と魚たち』の脚本家が組んだ作品なので良作に違いない。
これは素晴らしい。
中学生の女の子を主人公にした話なのだが、そういう作品は
えてして女の子をよく描きすぎて実際にいないものになることが多い。
アニメ作品に多い気がする。
社会や周りの状況の厳しさに落ち込んで、でもけなげにがんばるという話がよくある。
だけれど、人間というものは傷つけられてばかりというわけではなくて誰でも傷つけられると同時に傷つけることもあるわけだ。
悪意がなくても人を傷つけることがあるのだ。
そんな当たり前のことを今までの映画は描いていなかった気がする。
この映画では夏帆が悪気はなくても人を傷つけてしまう女の子を演じていた。リアルである。
善意があっても人を傷つけてしまうというのは『ジョゼと虎と魚たち』と同じテーマだ。
あの映画も健常者である妻夫木君が良かれと思って足の悪い
障害者の池脇千鶴に近づくが、結果的に手ひどい心の傷を負わせる。
とは言っても二人の出会いがただのマイナスかといったらそうでもないというこれもまた当たり前のことを言ったのがあの映画のすばらしさである。
天然コケッコー』の場合は悪意はないのに人を傷つけてしまう夏帆がこれもまたぶっきらぼうに人を傷つけてしまうが優しいところがある甘くて苦いママレードボーイのような転校生のイケメンに惹かれてしまうというストーリーだ。
少女マンガ的な展開なので女の人が観ても面白いだろう。
で、両方の作品に共通するのが人と人ととが関わっていく中での無神経さ、どんな風にしても人を傷つけざるを得なくて人はある程度無神経でなければ生きてはいけない。人はそれを意識するか意識しないかというだけであるという脚本家の思想だと思う。
次に『リンダリンダリンダ』との共通点を述べたい。
リンダリンダリンダ』と『天然コケッコー』は主人公がまどろむ。まどろんでいるうちに何かが始まってしまう。
この「まどろみ」というのも今までの映画は描いていなかった。
リンダリンダリンダ』も『天然コケッコー』も青春映画であるが、その青春はまどろみと同じくぼんやりとして輪郭がはっきりしない。
だが、青春というものも実は強烈な感情に支配されているときは少なくてまどろみのようにぼんやりとした感情に浸っているときのほうが多いのではないだろうか。
夏帆とイケメンのあまり盛り上がらないキスシーンに象徴されるようなそんなまどろみの青春を描いたところにこの映画のもう一つの素晴らしさがある。
脚本家の個性と監督の個性が融合し、いい映画が出来上がった。
夏帆をはじめとする俳優の演技もいいので観るべき映画だと思う。