ガリレオ5話を観て思った。

ガリレオ5話。
映像化するとトリックが分かりやすい。
子役の子の演技がうまい。
柴崎コウが髪を下ろすとかわいい。
ドラマの最後のほうにならないと髪を下ろさないのでもどかしい。
この回の感想は以上。
福山雅治がストーリーに関係なくいろいろなスポーツをする場面が出てくる。
で、福山がひらめくと公式を地面に書きはじめるというシーンがあらわれる。
はっきりいって意味がない。
しかし、かっこいい。
意味がないけれどかっこいいというのを最近は封じ込めてしまった。
半田健人理論を応用すると、それによって歌謡曲の衰退がはじまったのではないだろうか。
ジュリーを例をあげるとパラシュートを背負ったり、、ウィスキーをぷっと吹き出したり、ハワイに行くともらえるへんなひらひらをみたいなのを振りながら歌ったりというものである。
あれはかっこいい。意味がないとはいえ。
最近はそういう変な意味がないけどかっこいいことをみんなやらなくなってしまった。
あのドラマの福山はただ単にかっこいいということをけれんみたっぷりに演じてみせている。
最初はなにこれ?と思ったけれど、よく考えたらけれんみたっぷりのかっこよさ
というのはきょうび貴重ではないだろうか。
と考えると軽く観られけれど、何も新しいところがないドラマだと思っていた「ガリレオ」が最高のドラマのような気がしてきた。