倖田來未謝罪

倖田謝罪ですか。
倖田が嫌われる理由というのはやっぱりかわいくないというのもあるのだけど、
面白くないというのもあると思います。
堂本兄弟でも水菜が400円もしたとか大騒ぎしていたわけですが、
そんなのあんたの年収ならいくらでも買えるだろうと思いました。
庶民派気取りですか。
そして、生産者の方の写真がその水菜に貼ってあったのを見て、「有名人気取りですか」
みたいなことを言っていました。
誰が見ても有名人気取りで写真を載せているわけではないことは分かります。
面白い話というのは違った角度から見た一面の真実を伝えているから面白いのであって、
ただ単に悪口を言っても面白くありません。
そして、イライラに輪を掛けるメンズという単語。
今日の謝罪でもマネージャーのことをマネジメントと呼んでいました。
悪口というのは得てして自分のことを語っていることがあります。
水菜に貼ってある写真に過剰反応したのはそこに自分を見たからです。
誰よりも有名人で目立ちたいのは倖田自身なのです。
メンズあるいはマネジメントという言葉は内輪の言葉です。
その言葉を公衆の面前で言い放つということは、含羞のかけらもそこには存在しません。
みんなは私の言葉を受け入れて当然と思い、公と私の区別がついていません。
そこがうっとうしいのです。
中川翔子という人はギザカワユスなどとテレビに出て言っていますが、周囲のとまどいに
気づき、どこまで通用するか試して、そして受け入れられなそうならすぐ説明するという
ことをしています。
自分で自分の発する言葉の違和感に気づきながら、発言しています。
その繊細さが全く倖田という人には感じられません。
水菜の農家に過剰反応したのも農家が公と私を履き違えている風に倖田に見えたからです。
公と私を混同していいのは私だけだ。
農家風情が何を勘違いしている。
そう倖田は思ったのにちがいありません。
しかし、それは間違いです。
誰もあなたの言うことに賛同しているわけではありません。
ただ、エロかっこいいという記号がついた商品としてのあなたを求めていたのです。
写真がついた水菜以上にあなたは商品として高くなりすぎました。
そんな水菜が高いなんて考えられないとあなたは言いました。
しかし、あなたの人気がこんな高いなんてそっちのほうが不思議です。
写真についた水菜と同じように自分の価値がそれほどないことをあなたは分かっていたのです。
だから過剰反応したのですね。
頼むから鍋の水菜のように控えめな存在になってください。
今のままではあなたは鍋の中に冷凍餃子のような邪魔な存在です。