爆問学問

京大VS爆笑問題。ニッポンの教養スペシャル。
面白かった。
独創性についての議論。
かなり広い講堂で行われたのだが、京大生の女子がかなりかわいいのを見て驚いた。
最近東大にも美人が多いという話がある。
なんだろう。これも格差社会の範疇の問題で、ああいう高学歴の家は金持ちが多いので、
メイクとかにもお金を掛けることができるからなのだろうか。

太田の話というのはパトス(熱情)とロゴス(理屈)が入り交じっていて、系統立っているかと思うと脱線して最後にやっと戻ってくるという話し方をする。
だけど、こうこうこうだからこうという話し方は頭はいいなと思うが、感動はしない。
やっぱりロゴスとパトスが話には必要なのだなと思った。

で、独創性についてだが、もしかしたら学生の中で今までの常識を覆すような
たとえば金星が意志を持って太陽の周りを回っているとかそんな説を唱えるような
人が出てきたらどうすると太田が振ると、教授がそんなのは議論にならないと言い始める。
そういう風に議論にならないと言ってしまったらだめだと太田が言う。
生物と無生物の違いはないと他の教授が。これは生物と無生物のあいだという新書にも取り上げられていたテーマかもしれない。読んでないので分からない。

あとは独創性にも他の人に伝えようとする意志が必要なのだと太田の意見に学生が反発。
反発して長々と話した学生は佐伯啓志ゼミらしいが、いかにもだ。
ああいう将来政治家とか官僚になりたいとか国家を動かしたいとか思ってそうな学生が
講演会に来て質問をしつこくするというパターンを何回も見てきている。

あとは独創性はつけようとしてもつかないという見るからに独創的な女子学生がいたが、
独創性を否定する人の方が独創的に見えるのはどうなんだろう。
京大も独創的な研究をしろということで成果主義が導入されて自由な校風がなくなっているとのこと。独創的な研究をしろということで逆に独創性がなくなるというアイロニーを体現しているのかもしれない。
学生も独創的になろうという人のほうがむしろ個性をなくしているという。
この風潮は学校も学生ももっと言うと日本の企業も同じなんだろうな。