カリオストロの城

さっきまで日テレでやってたので観てた。
この映画は宮崎駿のプライベートムービーに近い映画であって、
それをエンターテイメントに昇華したところが素晴らしいのだと思う。
カリオストロの城は元祖ロリコンアニメだと言われている。
しかし、それで断罪してしまうのは早計である。
ルパンはカリオストロ伯爵に向かって「ロリコン伯爵」という台詞を吐くのだが、テレビの前で「お前が言うな」と突っ込んだ人はかなりいると思う。
カリオストロ伯爵はクラリスの頭を足蹴にして湖に落とすなどクラリスへの
愛は微塵も感じられない。
つまり、カリオストロ伯爵はロリコンでもなんでもない。
ルパンは無意識のうちに自分のことを言ってしまったのだ。
全編ルパンはクラリスのために必死で行動するわけだが、これは義侠心とか
恩義とかそんなヤワなものではない。愛と判断せざるを得ない。
これを義侠心とか恩義からの行動としては逆につまらない映画になるだろう。
ルパンはクラリスを愛している。しかし、それを本人は全く変だと思っていない。それが愛だからだろう。
ラストシーン、クラリスのために離れることを決意したとき、ルパンは抱きしめようとして抱きしめないがそれは離れることを決意したからで、まだそこでは変だと思っていない。カールだとかいう犬がやってきて、クラリスがその犬を抱きしめる。犬の大きさの対比もあって、そこで、クラリスがまだ子供だということに気づくのだ。
そしてルパンは非常に寂しそうな顔をする。
自分が愛していたのが子供だと気づいてしまったからだ。
子供を愛することは倫理的に許されないことである。そのことを意識したルパンはしばらく苦い表情で車を運転するが、不二子がバイクで通りかかったときに「お友達になりたいわ」と叫ぶ。
ここで、ルパンは気持ちを切り替えようと努力する、大人の女を愛さねばならないと決意するのだ。それが大人の女と「お友達になりたいわ」なのである。
とっつぁんが来てクラリスに言う「ルパンは大変なものを盗んでいきました。あなたの心です」この場面は宮崎駿のこれからの映画作家宣言を示している。
自分は少女と恋愛するわけにはいかない。しかし、少女が好きなのだ。ではどうすればいいのか。少女の心を盗むような映画を作ろう。そうすれば少女の記憶の中に自分が刻みつけられるのだ。
そう思ったのに違いない。
最後、おじいさんがつぶやく。「なんて気持ちのいい連中だ」これは銭形のとっつぁんが率いる機動隊が走り去ったあとになされる台詞だ。
ルパンたちと機動隊が並列の関係になっている。
この映画、機動隊がもみくちゃになって戦っている場面が変に多いのが特徴だ。
これは何を現しているかというと宮崎駿の左翼活動の挫折経験である。
宮崎駿労働組合の書記長としてかなり激しい左翼活動を行っていた。
左翼運動の敵といえば機動隊と相場が決まっている。学生運動などでは機動隊と衝突し双方に多大な損害が出た。
その元々の敵である機動隊を人間的に描き、気持ちのいい連中とまで言わせるのは機動隊であっても人間であって、そこに立場以上の違いはないということが分かってしまったからだ。
五右衛門が戦い終わってジョドーに殺せと言われ「無益な殺生はしない」と言うが、これは左翼活動の総括だと思う。
戦後の左翼運動は無益な殺生をしすぎた。
思想の違い、立場の違いはあっても同じ人間なのだ。
どんな思想であってもそこを外してはいけない。
敵であっても同じ人間だ。人をまるでゴミと一緒にしてはいけない。
このようにカリオストロの城ロリコンであり左翼である宮崎駿が今までの人生を総括し映画作家としてどう生きるべきかということを高らかに宣言したかなりプライベートな映画である。
であるがゆえにかなりのパッションにあふれている。
しかし、それを微塵も感じさせないところにこの映画の本当の凄みがあるのではないか。