さんま論序説

27時間テレビは予想通り抗議殺到だったところも含めて、
大成功と言えるのだろう。
ところで、さんまだが(あえてさんまさんと言わない)
あの人はもっと語られてしかるべきで、タモリなんかよりよっぽど謎が多いのに
なぜサブカル雑誌などでは特集を組まないのだろう。
タモリという人はテレビというマスメディアでアンチを作らないために政治批判や権力批判や下ネタなどを捨てて、料理や散歩などに逃げ込んだ楽隠居なので、わかりやすい。
だが、さんまはどうだろう。
なんであんなにガツガツして下ネタばかり話しているのか。
女の人が引くようなことばかり言うのか。
ジュニアアイドルを好きだと言ったロリコン趣味をむき出しにするのか。
どうしてなのか。
明らかに気持ち悪いと思われるようなことばかりやっている気がするのだが。
わざとなのかそれとも年寄り特有の色呆けになっているのか?
その境目がよく分からない。
頭がいい人だけにアイドル好きアピールが気持ち悪いと言われていることくらい
気づいているはずなのにと思っていた。
ストーリーのない映画をわかりにくい面白いんだか面白くないんだか分からない映画を作る宮崎駿の境地にも似ていると思う。
で、27時間テレビを観て、もしかしたらさんまはたった一人でテレビの放送コードに
立ち向かっているドンキホーテなのではないかと確信した。
いじめをするとすぐ抗議電話、食べ物を粗末にするとまた抗議、その中で唯一下ネタや色呆けオヤジの気持ち悪い話だけが抗議電話を受けずに視聴者の心を逆撫ですることができるのだ。
さんまはベタでもなんでもなく、パンク芸人であったのだ。
パンク芸人でありながらも、抗議を受けない、語られることのない芸人であることを信条とする彼は今回も加害者ではなく、被害者になりおおせた。
素晴らしい生き方である。
押しつけられた憲法で一貫して戦後被害者であった日本。
そして被害者であることで矢面に立つことを避けながらもロリコン趣味で気持ち悪がられながらも萌えという武器で結果的に世界中を洗脳してしまった日本。
さんまの姿はその日本の姿に重なって見えるではないか。
さんまが人を殴るという姿は全く想像できない。
殴るとしてもから騒ぎの中でピコピコハンマーで女を殴るだけだ。
あれは性的プレイの一環というものだから、男性的な暴力衝動とは違うものである。
今回も浜田にこづかれていたではないか。
徹底して非暴力、そしてロリコン、萌え。
政治を語らずスポーツにしか興味がない。
さんまのアメリカのスポーツエンターテイメントにたいする礼賛ぷりを観よ。
アメリカニズムにどっぷり浸かっているのではないか。
そんな日本人の姿を戯画化したのがさんまであったのだ。
しかし、その日本人を愛すかどうかいつもブラウン管を通して
エスかノーかの問いを突きつけてきたのがさんまだったのだ。
だから、最近のさんまを観ると居心地の悪さを感じたのだ。
で、さんまを好きかということはリアルタイムの日本を愛するかどうかの試金石になるのだ。
明日職場の人にさんまが好きかどうか聞いてみてほしい。
その人の愛国心が試される。