スカイ・クロラ

永久に歳を取らない子供が戦闘機で平和な世界の中でゲームとしての戦争を続ける。戦争すら日常化した退屈な毎日を淡々と描く。
台詞も棒読みであり、登場人物の行動も緩慢である。
かと言って映画として退屈なのかといえばそうでもなく、
心地のよいものでものだったりする。
登場人物がタバコを吸ったり、新聞を読んだりといったストーリーとしては意味のない場面が非常に多い。
そんな1回1回が意味を持たないシーンの積み重ねで退屈な毎日を描写しているわけだ。
そりゃそうだ。
今まで吸ったタバコの数なんか吸い方なんか覚えていない。
同じ毎日を生きて意味があるのかという問いに対して、主人公は
同じ道を通ったとしても風景は違うと答える。
それを見せるために行動にシーンそれがクライマックスになる。
この映画、けだるい日常の中にかなり好きなシーンがある。
主人公が谷原章介の声の男に売春宿に連れて行かれるシーンがある。
売春宿の女の背中に刺青があるところに哀愁があった。
早く店が閉まってしまう街の寂れたボーリング場に谷原章介に連れて行かれて、プレイをするシーンもなんだかユーモアとリアリティがあってよい。
この映画は加瀬亮菊池凛子の現実感のなさと谷原章介の現実感の対比でなり立っている。
ということで、谷原章介がこの映画の主役でいいと言ってもいい。
谷原の悪い遊びを教えてくれる兄貴的な仲間というポジションはあこがれるし、そんな友達がいてほしい。
主人公の行動を通して退屈な日常をどう生きるかということを真面目に
考えてもいいし、谷原章介の行動を見て日常を刹那的に生きてもいい
と思いもする。
それにしてもこの映画分かりやすい。
あれだけペダンティックに薀蓄を振りまいていた監督とは思えない。
主人公の行動や映像などで語った後に全部台詞で説明してくれる。
ポニョの分かりにくさとは対照的である。
いかにも子供向きで分かりやすそうに見えて全然意味が分からないポニョとインテリ向けに作ってそうに見えて実は非常に分かりやすいスカイ・クロラ、この二つの作品を観比べて、作家性の違いに注目するのも
また一興かもしれない。
ところで、谷原章介がこの映画で「おいでなすった」と言っていたのだが、この「おいでなすった」という台詞を日常で聞いたことはあるだろうか。私はない。だから、使ってみたいものである。