WALL・E

日曜日にWALL・Eを観た。
ピクサーの最高傑作だと思う。
トイストーリーを観たときの衝撃が蘇った。
ピクサーは基本的に全部脚本がいいが、この映画は脚本の良さと同時に心がある。
まさにキングコングの漫才に足りなかったものだ。
作り手が本当に好きな題材で作っているというのが分かるから心底感動するのだなと
思った。
最近のピクサーは佳作を作っていたと思うが、それほどのパッションが感じられなかった。
だが、この映画は作り手の妄想や好きだと思うものをこれでもかと盛り込んでいった
そこが素晴らしいのだと思う。
主人公、ウォーリーは無人の地球に一台取り残された掃除ロボットである。
スクラップを積み上げているウォーリーをカメラが引いて俯瞰で撮るわけだが、
そのスクラップの山が摩天楼になっていて、その膨大な時間量とコツコツ積み上げていった努力量に鳥肌が立った。
ウォーリーの孤独とばかばかしさと裏腹の切なさを一発で感じさせる映像に泣きそうになった。
オペラグラスのようなレンズをつけて、さびだらけの金属のボディーはまるで、
銀縁眼鏡で汚いネルシャツを着たギークのようではないか。
地球に取り残されたウォーリーの前に、最先端のメカを載せたピカピカの探索ロボットが現れ、たちまち、恋に落ちるという話。
ロボットが全く女性的なフォルムをしていない、無機物そのものなのである。
ところが、そのロボット同士の恋愛になんだか心惹かれてしまう。
かわいい女の子を出して萌えなどとやるよりも、かなり抽象度が高い、高度な作品だと思う。
冴えない俺の元へ宇宙から美少女が現れたというかなりうる星やつら的な設定をあえて、
メカをかわいく描かずに卑俗なものにしなかったところが偉い。
とはいえ、ウォーリーが宇宙船にしがみついて、遙か彼方に行くところは諸星あたるを思わせたが、製作者はうる星やつらを観てるのだろうか。
まあ、うる星の影響はないとしても、80年代のSFを思わせる場面がたくさんあった。
昔のSFって話が大風呂敷でディテールが甘くてでもあたたかみがあって楽しかった。
そんな大風呂敷感があって、しかも細部の映像まで凝った出来なのに昔と同じように暖かみがあるのが面白い。
製作者がかなり昔のSFが好きで、その愛が画面中にあふれているのが嫌な意味で
クールにならなかった理由だろうな。
個人的には将来の地球人の姿とかに笑ったな。
あと、宇宙空間で消火器を持って、その発射の勢いを使って、ウォーリーとイブがダンスを
踊る場面はいいシーンだと思ったな。
最後のエンドロールでウォーリーの姿が大昔の絵画から印象派を経て、ファミコンの画面まで進化していく映像がしゃれてた。
ピクサーのよくやる気が利いているでしょうみたいなCGなのにNGシーンがあるっていう
エンディングの100倍いいと思った。
とにかく、誰にでもオススメできる映画であることは確かだ。
ウォーリーがこつこつ地球を掃除してくれたおかげで奇跡が起こったのだという解釈も
できるし、地味に誰も観てないところで、働いているウォーリーが報われるというアメリカ映画らしくない映画だった。