ヤッターマン

ヤッターマンを観た。
たしかにCGや衣装など凝っていて、すごいと思わせるところはあるのだが、
なんだか腑に落ちないというかノレないところがある。
この監督が下ネタをノリノリでやっていて、それはそれで面白い。
しかし、ドロンジョとガンちゃんがキスしたからどうとか三角関係とかどうとかそういうくだらないことを描いてはいけないと思う。
散々下ネタをやっといて、中学生みたいな清らかな三角関係をやっても
そりゃしらけるでしょう。
とはいえ、アニメを実写でやろうとすると笑えないところはあえて距離感をとって、
わざと寒くしているところとか賢いと思った。
ヤッターヤッターヤッターマンという決めポーズを引きで撮ったりとか。
だから、アニメを実写にしたことによる笑えなさというのはなかった。
ゲラゲラ笑うのではなくて、クスッという笑いだが、映画の笑いになっていたと思う。
三池崇史特有のブラックな笑いが冴えていた。
それはアンチヒューマニズムということで、竜の子のアニメとは関係ないところにある。
ボヤッキーが妄想してその中で「全国の女子高生のみなさま」と決めぜりふを言うのだが、
本当に大勢の女子高生が死体のように折り重なっている山の上にいて、ドロンジョ様の
ペディキュアを塗っているというもので、ハッキリ言って旋律が走った。
ホラーだよ。ホラー。エロいシーンのはずなのに、怖さが全面に出ている。
怖すぎて笑った。
この映画の見所としては、ドロンボー一味とヤッターマンの戦いのはずだが、どうでもいいだろう。
そんな戦いを手に汗握って観てた人はいないと思う。
アニメシリーズも同様で、戦いよりも本筋に関係ないところを視聴者は観ていたのではないか。
そんなどうでもいい戦いはガンちゃんを巡る三角関係同様省略すべきだったと思う。
私がもっと観たかったのはやはりフカキョンが歌い踊るシーンである。
フカキョンを初めとするドロンボー一味が歌い踊るシーンで私は号泣してしまった。
思えば、フカキョン主演の下妻物語は外見も中身も人形のような少女が始めて人間の心を取り戻すという物語であった。
人形が最後の一言で人間になるのである。
その人形っぷりと最後の関西弁のギャップで大いに涙腺を絞られた。
今回のヤッターマンでも全くの無表情で中身のない歌を歌い踊り踊るというシーンで、
フカキョンの木偶(でく)性が爆発した。
フカキョンという人、木偶であればあるほど光り輝くという誠に不思議な個性を放っている。
歌手としても初音ミクより人工的な歌声で、全く感情がこもっていなく、それであればそれであっただけ、魅力的な歌になるという個性の持ち主だというのは皆さんもよく知っておいでだろう。
「ブルースブラザーズ」や「はなればなれ」で有名なシーンがあるが、登場人物が
無表情で踊るというシーンに私は滅法弱い、そんなシーンがあるとイカすぜと戸田奈津子風に言ってしまう。
なぜ、そんなシーンがかっこいいかというと、俳優が木偶のように見えるからだと思う。
所詮、俳優は脚本や監督の言うとおりに動くだけの木偶の坊である。
そう開き直ると逆にリアリティが宿る不思議。
そこに映画の魅力がある。
フカキョンのダンスシーンにはそれが凝縮していたのだ。
だから、私は号泣してしまった。
フカキョンの表情、歌声、ダンスにはそのやらされている感が120%充満している
しているが故に逆に生身の人間としてスクリーンのこっちに訴えかけてくるのだ。
そして、心をわしづかみにされるのだ。
さて、フカキョンが一曲しか歌い踊るシーンがなかったのが、不満である。
とっとと、フカキョンが全編コスプレで歌い踊る映画を作ってほしいものだ。
この映画もぶっちゃけフカキョンのダンスシーンしか観なくてもいいと思う。
逆に言うとフカキョンのダンスシーンだけでも観る価値があるだろう。