モテキ

中森明夫氏がモテキサブカルの敗北宣言というツイートをしていた。
そんなもんかなと思って、この前観に行ったら全然違うと思った。

モテキ』のようなサブカル映画は10年前ならもっと単純にかっこよく撮られたはずだ。が、ゼロ年代サブカルはオタクに完敗して最低に落ちた。サブカル的感性の敗北状況がこの映画のベースにある。どん底からの逆転の起爆材が女優・長澤まさみだった。そこがわからないと見誤る。#モテキ


モテキ電車男から6年後のネットの世界を描いている。
電車男」のようにビルに字が浮かぶという描写があることから「電車男」を引用していることは明確だ。
電車男」はネットの掲示板というメディアを世界で初めて詳しく描いた映画だと思う。
今回の「モテキ」はtwitterというメディアを世界で初めて詳しく描いた映画なのだろう。


電車男」と「モテキ」は同じじゃんという言説もネット上で読んだりするのだが、違うだろう。
モテキ」は電車男で描かれなかった現代の日本の若者の貧しさを描写している。
主人公の年収240万とか部屋の汚さとか主人公の住む街の歩道橋やトンネルの絵にならない感じとか。
そういった貧しい感じがこの映画の確信犯的なカッコ悪さを形成していると思う。
電車男から6年経って、若者はどんどん貧乏になった。
ドラマや映画も恋愛一辺倒だったのが、お金を稼ぐための手段である仕事を抜きに描くことはできなくなった。
そんなドラマ界や映画界の流れの中にこの映画もあるのだ。
仕事を描くとなると主人公はペーペーだからまたかっこ悪くならざるえない。


だが、貧乏であることかっこ悪いことが本当に悪いのかということがこの映画のテーマだ。
高い寿司をおごってもらい、高級ホテルを予約してもらった麻生久美子リリー・フランキーに抱かれてしまう。
翌朝、リリー・フランキーを残してホテルをあとにした麻生久美子は、牛丼屋に入り、牛丼をおかわりする。
なぜか神々しい光に包まれ、ご飯粒が頬に付いた麻生久美子は美しく輝いている。
自分で稼いだ金で食べた牛丼はなんと美味しいことか!


あるいは、フェスに行った主人公は長澤まさみと再開し、逃げ出され追いかけてしまい。
泥だらけの沼に落ちる。
かっこ悪い。
相手の気持ちも考えず追いかけるなんていかにもセカンド童貞らしい愚かさもあわせ持つ。
だが、これ以上ないくらいのかっこ悪さに落ちた主人公はかっこ悪く愚かであるが故にひたむきであり、
そのひたむきさが長澤まさみの心を溶かし、奇跡を起こすのである。


成功した金持ちに対して貧乏で愚かな若者がひたむきさで勝利するという普遍的な物語がそこにある。
確かにこの映画のサブカルは面白いのだが、どの層に向けても通用するテーマがあるのだ。